とんま天狗は雲の上

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村上春樹の高潔と中川昭一の下劣

 村上春樹エルサレム賞を受賞した。ガザ地区侵攻で国際的に批判を浴びるイスラエルエルサレム市が授与する賞ということで、受賞前から「村上春樹は受賞を拒否すべきだ」といった世論もあり、動向が注目されていた。
 村上春樹は今私が最も好きな作家の一人だ。ほとんどの作品を読んできた私から見れば、たぶん村上氏は政治的なパフォーマンスとは遠い地点に立って、淡々と受賞し、受賞コメントを述べるだろうと思っていた。そして思ったとおりの行動、思ったとおりのコメントを述べた。
 報道によれば、イスラエルのメディアは、村上春樹のコメントを曖昧な内容と評したようだが、確かにそうとも受け取れるが、私は村上春樹らしいと感じた。日本のメディアは、人間を卵にたとえた部分を大きく扱ったが、私はその後の、制度と人間に関するコメント、そして人間の側に立ち続けるという主張が強く心に響いた。そこには、政治という場面ではなく、人間の生という地平に立って執筆をしている村上氏の立ち位置が明確に示されており、文学の力や人間の営みの力を強く訴えかけるものだった。村上氏のコメントは、政情が入り乱れる人間の歴史にあって、人間の高潔さを示すものであり、日本の品位を示す行動であった。
 しかるに、ほぼ同日に報道された中川財務相の行動は、反対に日本の下劣さを国際社会に強く印象づけるものだった。村上氏の高潔が中川氏の下劣さによって汚されたことを非常に哀しく感じた。
 今までもつまらない失言で要職を失った政治家が何人もいる。その多くはマスコミが勝手に想定した被害者に対する配慮のない発言、前例を踏まえない発言が糾弾されてきた。しかし今回の中川氏の発言は、日本の将来に対して重大な損失を招きかねない言動である。
 時も時、日本のGNPがかつてない、かつ先進国の中では突出した下落を示した。これは外需に依存する日本経済の実態を如実に表したものと批評されている。こうした時に、世界が注目する中で、日本の信頼を大きく損ねる中川氏の言動は、これまでの失言とは比較にならない損失を招く恐れがある。財務相自ら、日本経済凋落の先導をしたのである。
 今日夕方になってようやく辞任することになったが、現状を100年に一度の経済危機と認識するのであれば、あの失態の直後にも辞任すべきではなかったか。そして直後の辞任を決断できない現政権は、口先だけで本当の意味での危機意識は持ち合わせていないことを露呈した。これではこの危機の打開を託すわけにはいかない。
 村上春樹が世界に人間の高潔を示した日、まさにその日に、世界に日本の下劣を示した中川氏の行動を非常に残念に思う。辞任だけに治めず、さらに厳しく糾弾すべきである。