とんま天狗は雲の上

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どうしてみんな小沢代表は辞任すべきと言うのだろう?

 24日の代表残留会見以降、いよいよ小沢代表に対する辞任圧力が高くなってきた。何としても辞任させるべく、マスコミこぞってキャンペーンを繰り広げている感じだ。民主党内にも辞任論が高まっていると報じられているし、ブログの論調も辞任論が優勢となってきて、「一部の小沢信者を除き」なんて書き方がされている。私は別に小沢信者ではないし、民主党支持でもないが、どうして小沢代表が辞任しなければならないのか、辞任することで何が変わるというのか、未だによく理解できないでいる。
 まず、小沢代表が何をしたか。秘書が突然逮捕され起訴されたが、小沢代表自身がその前後で特別なことをしたわけではなく、従来から行ってきたことを今この時期に咎められた、ということだ。今までしてきたことに対する評価は国民に委ねる、というのが小沢氏の態度だが、その点では潔いとさえ言える。企業献金・団体献金の全面禁止を言い出したことを批判する者もいるが、民意がそうであれば法制化も検討するという言い分は全く自然である。
 何ら疚しいことがない、というわけではなく、疚しいかどうかの判断は国民に委ねると言っているのだから、正々堂々と勝負をさせればよい。自民党が政敵を糾弾するのは当たり前だが、マスコミが辞任を煽るのは理解できない。自民党が二階大臣や平田副大臣を辞任させ、民主党との違いを際立たせようという作戦は理解できるが、彼らだけではなく、自民党議員は誰も同じ穴の狢だということは国民の多くが思っていることだ。
 ところで、辞任をすることで何が変わるというのだろう。問題が暴露された運の悪い議員は次々と辞任をし、頭だけすげ変わっていく。それで政治や政策が変わるわけではない。必要なのは、辞任ではなく政策を示し実践することだろう。政治献金体質の政治をどうしていくのか。そこを明らかにして国民に問い実践していく。そのことのみが現状を変えうると言える。
 一方、民主党内から辞任論が出てくるのは、選挙対策でしかない。要は自分が選挙で負けるのが怖いからである。代表が辞任し交代した結果、どういう政治をめざすのか。小沢代表では実現できない政策とは何で、どういう政策を実現したいのか。そこが曖昧なまま、政権奪取だけが目的となっている。これは自民・公明も同じで、政権維持だけが目的の衆の集まりである。民主党内から辞任論が出てくるのは、結局、民主党自民党も違いはない、ということを表明しているように見える。
 実際そうなんだろう。そして何か問題が起きたときに辞任する潔さだけが選挙の選択肢になっている。私たちはこの間まで、日本の首相がコロコロ変わることを批判していなかったか。辞任すれば済む問題ではない、いや辞任することが問題ではないのか。辞任は選挙に負けてから、国民の選択に委ねればよい。その前にマスコミがホントかウソかもわからないような世論調査を使って辞任工作をするのは、本当の意味で民主的ではないと思う。今の日本はマスコミ院政・独裁政治ではないのか。