量子力学が素粒子の世界で物質が確率的に存在することを明らかにしたことは知ってはいたが、その科学を応用し、量子コンピューターや量子暗号、量子テレポテーションといった技術の開発にまで進んでいるとは知らなかった。特に量子暗号は実用化の直前まで来ているという。これらの先端技術に関する科学は量子情報科学と言われる。
しかし本書はこうした量子情報科学に関する解説書ではない。量子力学の解説書ですらない。量子力学の考え方、量子情報科学のエッセンスをわかりやすく解説しつつ、そこで明らかにされる科学の実相の解釈をめぐる論争や歴史を振り返り、物理学、哲学、実存世界から見た量子力学の総体までも紹介しようとする非常に視野の広い科学解説書である。
本書は、三氏をパネラーとして開催された公開講座がきっかけで執筆された。朝日新聞の科学記者である尾関氏のわかりやすい解説、第一線の研究者である井元氏へのインタビュー形式による量子情報科学の最新の情報、そして最後に佐藤氏がアインシュタインを曳きつつ量子力学の現在における視座を大きな視点から解説する。
専門家ではない読者には、普段の立ち位置から垣間見られる科学の世界に適度に好奇心を満たし、課題や論争を知って安堵を覚え、哲学的な思考に思いを馳せることができる。その点で非常にバランスの取れた書物である。
本書で紹介される印象に残った量子力学のキーワードとエピソードを以下にざっとメモしておく。
- 「重なり」と「とびとび」。
- 光子の裁判(検証した瞬間に決定する)。世界で最も美しい実験(外村グループの電子を使った二重スリットの干渉実験)。
- シュレーディンガーの猫。EPRの逆説。
- コペンハーゲン解釈/多世界解釈/ボーム解釈
- 「プランク常数h」と「波動関数(状態ベクトル)Ψ」。特に状態ベクトルをどう解釈するか。
- 作者: 佐藤文隆,井元信之,尾関章
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/07/10
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
●「量子」という言葉は、「数えられる」ということを意味する。エネルギーですら一個、二個と勘定し、小数点以下の半端な数が出てこないから「量子」なのだ。(P72)
●コペンハーゲン解釈は古典力学と量子力学の二本立てだけど、いつどちらを使うかの条件は明確にせず、経験に任せています。ボームの仮説はすべてを古典力学で扱うもので、正しい場合はそれが検証できるという点では最も明確ですが、隠れた変数が光速を超えるというところが正しいとは信じがたい。多世界解釈はすべてを量子力学で扱うもので、不明確な条件や光速を超えるものの仮定などが一切ない点で最も優れています。しかし、これも信じるか信じないかの水掛け論を超える検証実験ができるか疑わしい。(P180)
●アインシュタインともあろう人が、50歳前から四半世紀も孤独であったとは信じがたいことかもしれません。しかし実際そうだったのである。いくらアメリカに亡命したとはいえ、彼ほどのカリスマ性をもつ人物の周りには、若い科学者が寄っていきそうなのもである。ところがそばに行くと、「君はあんな理論を信じているのか!」と言われてしまいそうで、量子力学を使って物質の新境地を拓くことに興味をもつ若き俊英たちは彼に寄りつかなかったのだ。(P193)
●子どもは非日常的なものに魅せられるのである。(P200)