とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

此処彼処

 2004年の1年間、日本経済新聞の日曜版に毎週連載していたエッセイをまとめたもの。「彼処」で始まり「此処」で終わる。無事に帰り着いたかどうかは知らないが、そもそも旅には出ていなかった。そう、具体の場所をテーマにした連作エッセイ集である。が、旅をするわけではない。いや、新婚旅行や子供の頃の母の実家への一人旅、父との二人旅なども話もあるが、多くはとりとめもない日々の生活で始まり、思い出したように地名が書き込まれ、なんとなしな思いの中に収束していく。そう、締めの言葉がうまいのだ。いや、何気ない始まり方もいい。ふわりふわりとした全体の雰囲気も。こころやすらぐほんわかとした世界。
 「春が闌けていく」で終わる一編があった。4月に書かれた「宮崎」という一編。宮崎に新婚旅行に行った親戚のお兄さん夫婦からもらった「ソテツのぶた」の話。その当時の記憶や「ソテツのぶた」を巡る思いを綴った最後にさりげなくかつ脈絡なく置かれる一節。「春が闌けていく」。川上弘美の真骨頂を見た思いがした。いい言葉だなあ、と秋に思う。

此処彼処 (新潮文庫)

此処彼処 (新潮文庫)

●わたしは四年生になるまで「あいうえお五十音図」のことを知らなかった。それを習うべき一年生のころ日本にいなかったせいもあるけれど、要するに頭に霞がかかったような子供だったので、そういうものがこの世に存在することに気づかなかったのである。・・・あの勘の冴えわたった一夜のあしのうらの感触も、もう今では、幽かにしか思い出すことができない。(P39)
●今日のうんちの色つやは。今日のげっぷの勢いは。・・・といった類の、きめ細かい観察と経験から知り得た、必ずしも理屈通りにはいかぬ自然的因果関係が、育児の場には多々出現するのである。・・・お母さんたちも、「お母さん」たる属性を少しずつ脱ぎすて、一人ひとりの独立した「人間」や「女性」に戻っていることだろう。彼女らに幸あらんことを、心より祈る。(P56)
●父の旅は、異質な光景へ、異質な人々の中への旅だった。写真で見知っている神社仏閣や町並みを確かめるタイプの安寧な旅ではなかった。たとえ写真の場所に行ったとしても、その中には写真からはみ出して生きている人たちがいるんだ、ということを確かめるための、旅だったのだ。8P146)
●自称のしかたによって雰囲気は大いに変わる。甘えているのか。油断大敵なのか。うやむやにしたい相手なのか。・・・ワタクシから一転「おれ」へ。これがなかなか、色っぽいものだった。・・・くらりと自称が変化したあの瞬間の驚き。大手町。地下道。殺風景でせわしなくて。でも一瞬だけの、もしかしたら恋みたいなもの。(P208)