とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ノルウェイの森

 「村上春樹をもう一度読む」シリーズの5冊目。村上春樹の最初のベストセラー。当時は純愛ブームで、この作品もブームを作ったものの一つとして女性に強く支持された。という記憶はあるのだけれど、私にはどうしても純愛作品には思えなかった。そしてどういう内容だったか、すっかり忘れてしまっていた。
 他の村上作品のような個性的なキャラクターや非日常的な設定が全くない小説らしい小説。確かに「僕」と直子との純愛小説と言えなくもない。しかし恋愛小説というより、死からの再生の物語といった方が正しい。生と死。そして性愛がそこに色濃く絡む。
 キズキと共に死の世界から「僕」を深く誘う直子。父母の死に捉えられつつも、奔放な性と生の世界に生きつづける緑。二人の間で揺れ動きつつ、最後には緑の世界に身を寄せていく「僕」。レイコがそんなワタナベを慈愛をもって導く。
 冒頭の「野井戸」が印象的である。「ねじまき鳥クロニクル」に通じるモチーフ。しかし、どうやら私にはレイコさんのレズ体験シーンがあまりに強烈で、全体のストーリーなどすっかり忘れてしまったらしい。今読み返してみると、それほど重要なシーンではないようにも思うのだけれど、こうした迫真の筆致もまた村上春樹の魅力の一つである。
 タイトルの「ノルウェイの森」はビートルズのナンバーの一つだが、今回初めてこの曲を聴いてみた。ビートルズらしいソフトタッチの美しいメロディだ。これを聞きながら直子との夜を想像してみると何故か胸の奥が熱くなってきた。

ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)

ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)

●結局のところ―と僕は思う―文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。そして直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけばいくほど、僕はより深く彼女を理解することができるようになったと思う。(上P20)
●あなたは私たちにとっては重要な存在だったのよ。あなたは私たちと外の世界を結ぶリンクのような意味を持っていたのよ。私たちはあなたを仲介にして外の世界にうまく同化しようと私たちなりに努力していたのよ。(上P236)
●春の香りはあらゆる地表に充ちているのだ。しかし今、それが僕に連想させるのは腐臭だけだった。僕はカーテンを閉めきった部屋の中で春を激しく憎んだ。・・・生まれてこのかた、これほどまで強く何かを憎んだのははじめてだった。(下P180)
●おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。・・・これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ。何故なら俺は彼女が好きだし、彼女よりは俺の方が強いからだ。そして俺は今よりももっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。・・・俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。(下P182)
●私たちは(私たちというのは正常な人と正常ならざる人をひっくるめた総称です)不完全な世界に住んでいる不完全な人間なのです。・・・そんな風に悩むのはやめなさい。放っておいても物事は流れるべき方向に流れるし、どれだけベストを尽くしても人は傷つくときは傷つくのです。(下P219)
●その場所では死とは生をしめくくる決定的な要因ではなかった。そこでは死とは生を構成する多くの要因のうちのひとつでしかなかった。・・・「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかった。(下P226)