とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

第四の手

 裏表紙のPR文には「ロマンティック・コメディ」と書かれ、「恋愛小説の傑作」と書かれている。解説には、人間関係の修復の物語といった趣旨のことが書かれていた。
 確かにそうなのだが、いつものアーヴィングにしては軽過ぎる。いつもならもっと深刻な事件ともっと壮大な回復の物語があったはず。期待に反して、軽過ぎる。それというのも、主人公のパトリックのあまりの軽さ、次から次と描かれる女性遍歴とセックスシーンのせい。
 最後は、失われた手の移植手術に突然亡くなった夫の手を提供した女性との結婚へと大団円に向かうが、これとてそれほどの感動を喚ばない。シチュエーションの突飛さに振り回されたという印象。
 もうアーヴィングは読むのやめようかとまで思っていたら、最後の最後に訳者あとがきで「大作の一つ手前にあって、しゃれた可愛らしい『小品』の趣」(下P277)。なるほど、そうなのね。
 そ、軽い気持ちで読むセックス・コメディというのが本書の正しい評ではないかな。そんな感じ。

第四の手〈上〉 (新潮文庫)

第四の手〈上〉 (新潮文庫)

●「男って、憎らしいのに、いないと困るんだからどうしてかしら」娘はくたびれたように言った。「いないと困るから憎たらしいのよ」(上P44)
●非常識はめずらしくないことであり、したがって非常識ではないと心得ている。いかに愚かしくとも、死は死、損失は損失、悲哀は悲哀なのだ。(上P246)
●クラウセン夫人のたった一度の過ちにくらべれば、ウォーリングフォードの世界はセックスの無法地帯といえた。(下P163)
●いい小説や映画は、ニュースとは違う。・・・読んでいるとき、あるいは見ているときの、すべての感情の総体なのだ。ある人が映画や本を愛するとして、その愛を他人がそっくり真似することはできない、とパトリックは悟った。(下P227)