とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「男女差別」は差別用語? いや侮蔑用語!

 昨日、つまらないことで喧嘩になりかけた。
 TVのバラエティ番組で、言葉から地図を作るか、地図を言葉で伝えるかするゲームがあり、妻が何気なく「女性はこういうのはダメだから」と言った。「それって男女差別じゃないの」と私が言うと、「そんなことはない。いつかのTVでもやっていた。脳の構造が違うそうだから」と反論する。
 「確かに、女性と男性で脳の造りが違うという本がベストセラーにはなっていたけど、だからと言ってそう決めつけるのは気に入らない」と私が言って、それから何とか話をそらして(TVはもう次のシーンに移っていた)、話題は別のことに向いていった。
 しばらくしたら、「男女差別と言われたのがイヤだった」と言う。「ボクは『○○はダメだ』という言い方が気に入らなかった。得意・不得意はあってもダメな人間はいない」と言った。
 考えてみれば、「それは男女差別だ」と言われるのは、「女性蔑視だ」と言われるのと同様、現代にあっては侮蔑用語かもしれない。
 「女性って、こういうの得意じゃない人が多い」と言えばカドが立たなかったかも。確かに腕力では女性は男性にかなわないかもしれない。その代わり得意なことも多くある。でも男性以上に腕力のある女性もいるし、数学の得意な女性も多い。「○○だから◎◎」ではなく、◎◎を素のままに評価すればいい。
 男女差別という言葉は現代において負のレッテルを貼られた言葉だというのは、考えてみればそうなんだけど、その割にはそれほどの覚悟もなく使っているような気がする。みんなが男女差別をしていた時代はそれでもよかったが、もうそんな時代ではなくなっている。安易に使わないようにしよう、と思った。