とんま天狗は雲の上

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政治をやりたくない政治家と、やらせたくない人々によるエセ政治ごっこ

 小沢問題で国会とマスコミが騒いでいる。小沢幹事長の検察による事情聴取後の記者会見に対して、「あれで納得する国民は少ないでしょう」とニュース・キャスターが述べていたが、「小沢幹事長は国民が納得のいく説明をすべき」という課題を勝手に提示し、「納得がいく国民はいないでしょう」なんて、あまりにマッチポンプ。それよりも同時に報道されている「そんなことよりも景気をなんとかしてほしい」という差し迫った声をこそ真摯に対応すべきではないか。
 先週、たまたま日中、出先での待ち時間に国会中継放送をボケッと見ていた。自民党議員がフリップを使って2次補正予算の経済効果について質問をし、管大臣が答弁をしていたが、翌日の新聞にはこうした記事はあまり大きく取り上げられていない。小沢問題を真っ先に挙げる政治家やマスコミは、経済問題よりも政治家の資質問題の方が大事だと考えているのだろうか。
 しかし逆の見方もできる。民主党自体も今国会に計上した2次補正、22年度当初予算にどこまで効果があると考えているのか。大盤振る舞いしたマニフェストと当初予算案との整合について、昨今の社会経済情勢の変化を踏まえ、その的確性をどこまで説明できるのか。官僚と政治主導とのせめぎ合いの中で、次年度以降さらに修正・精査すべき事項はないのか。それが22年度予算で対応しないことに合理性はあるのか。そういった詳細な検討が、小沢問題の陰に隠れて十分な議論もないまま、手続きだけが進められている。そして実はそれは民主党にとっても思うツボではないのか。
 事業仕分けが官僚主導・財務省主導だという批判が多く聞かれた。それはすなわち既得権擁護ということであり、大手マスコミもその点では同じ側に立つ。55年体制は実は自民党だけではなく社会党も協同して維持してきた仕組みだという見方がある。すなわち、万年野党に甘んじることで吸ってきた既得権を守るという点で、55年体制社会党にとっても旨みのある体制だったということだ。
 この世界情勢が大きく変化しつつある時代に、小沢問題にばかり異様に執着するマスコミや政治家の姿勢は、本当の問題から国民の目を逸らせようとする官・民・政あげての作戦なのかもしれない。
 本当の意味での国民のための政治をやりたくない政治家(政治家としての既得権を手放したくない。例えば、1票の格差など、政治家の当落と定員に関わる問題には触れないなど)と、本当の意味での政治をやらせたくない官僚やマスコミ、財界(人事権の行使阻止や行財政改革言論の自由の独占と権力との甘い関係など)が結託して、現在のエセ政治ごっこが進められているとしたら・・・。意外に邪推でないような気もしてくるだけに恐ろしい。