とんま天狗は雲の上

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「腐ったミカン 名を捨て実を取る国家官僚の陰湿」は言い過ぎだったかもしれないと反省

 「腐ったミカン」と言えば、サッカーファンの間では、10年以上前、日本代表監督を打診され翻弄されたネルシーニョが吐いた言葉として有名だ。「日本サッカー協会幹部は腐ったミカンである」と。
 小沢問題で繰り広げられている検察の強引な取り調べなども国家官僚の性向を示す所業と言えるのかもしれないが、私がここで指摘したいのは、もっと小さな陰湿な所業のことだ。
 一昨年、多くの都道府県で裏金問題と騒がれた不正経理問題を覚えているだろうか。千葉県では今もこの問題が続いているようだから根は深いが、この事件は会計検査院の検査で始まった。しかしこれにはきっかけがある。その前年、国の地方機関で発覚した公費によるマッサージ機の購入などの不適切な公費執行問題がその起因ではなかったかと私は考えている。
 この問題を受けて国家官僚が考えたのが、「地方でも同じことをしているに違いない」という下司の勘ぐり。さっそく翌年度の会計検査院が、これまでほとんど検査したことのない補助金事務費の使途について調査を行った。しかし国の機関のような下劣な無駄づかいはほとんど見つからなかった。当たり前である。会計検査がある補助金をそんなものの購入に充てているわけがない。しかし硬直的な補助金執行の仕組みや予算制度に縛られ、柔軟な事務費執行ができない中で、年度を跨いだ予算執行等が行われていた実態が不正経理として指摘され、全国の都道府県や自治体で大騒ぎになった。
 これと同じようなことが今、水面下で進められつつある。
 民主党の「人からコンクリートへ」政策に伴って、地方の公共事業に対する補助金が、来年度から社会資本整備交付金(仮称)に変わることになった。地方主権、年度や事業を跨いだ自由な執行という美名の下、着々と制度設計が進められているようだが、その詳細はほとんど伝えられていない。
 こうした中で、とんでもない話が伝わってきた。補助金制度では、補助事業に伴って必要となる事務費は附帯事務費という名称で補助対象として認められてきた。例えば、道路工事のための設計費や工事監督のための出張旅費、さらには工事を担当する職員の人件費も補助対象となっており、その額は工事の額にもよるが2〜5%程度に上る。これを交付金移行に伴い、補助対象から除外するというのだ。交付金制度における交付率は、今までの補助制度の時の補助率と同率にすると聞いているが、事務費が補助対象外となると実質2〜5%の補助率ダウンである。
 これが国の直轄事業に対する負担金への批判で、「事務費は負担金対象としない」とされたことの意趣返しであることは間違いない。しかし直轄負担金と地方交付金の額には大きな差があるし、直轄負担金を負担しているのは都道府県であり、市町村にとっては一方的に補助金が減るだけになってしまう。
 財務省から「直轄負担金が減少する分を何とかしろ」と言われたのかもしれないが、国の理屈だけで辻褄を合わせ、転んでもタダでは起きない国家官僚の陰湿さ。直轄負担金による収入は減少する代わりに、地方への補助金はそれ以上に減少し、かつそのしわ寄せの多くは直轄負担金とは何の関係もない市町村にかぶせられる。しかも地方自治体の実情を省みないこうした制度改正について、地方の声を聞くことはなく、決定した結果だけが一方的に通知される。
 政治家には金の多寡や採択路線の有無に一喜一憂するだけでなく、こうした細かな実態にも十分な目配りをしてほしい。

PS.
 国土交通省の新しい交付金制度移行に伴い、事務費を対象外としようとすることについて、罵詈雑言を書き、また周囲の者にも悪口を言いふらしていたら、「それは違う」と指摘された。民主党政権は、直轄交付金及び補助金制度における事務費の不明瞭な使途を勘案し、両者から事務費を除外するとともに、これに伴い減少する地方への財政的支援として、地方交付税の増額を行っており、これで前者の財政的補填は十分図られるとともに、不明瞭な事務費執行の改善につながる制度改正である、ということだ。
 なるほどね。地方交付税の増額支給を受ける地方自治体が、公共事業補助金を受けていた自治体と必ずしも整合しないため、裕福な自治体は損になり、公共事業もできない赤字自治体が得をすることになるが、それはしょうがないのかな。
 せっかく振り上げた拳を下ろすのに、それで本当に騙されていないのかという懸念はあるが、反証できる材料もないので、「腐ったミカン 国家官僚の陰湿」と書いたことはとりあえず取り下げることにしよう。でも代わりのタイトルも見つからないので、そのまま残しつつ少し付け加えました。
 それにしても、国と地方では同じ制度改正がまるで違ったものに見える。既得権益をどう糺していくかという事例の一つなのかもしれない。