とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

オシムの伝言

 今、オシムが日本代表監督を続けていたら、南アフリカ大会を目前にしたわれわれの気持ちはどうだったろうか。もっとすっきりとオシムに委ねる気持ちが湧いただろうか。
 オシムが代表監督に就任してから日本を離れるまで、通訳として常にオシムに寄り添い、オシムの肉声を聞いてきた筆者によるオシム回顧録だ。
 「人生」「魔法」「誇り」などのタイトルが付けられた全部で29にも及ぶ小さな章を並べ、ほぼ年代順にオシムとの日々を回顧するという少し変わった構成。各章の冒頭には筆者が訳したオシムの言葉が三つ四つ並べられ、各章の末尾には詳細な注が付く。出版社は文系専門書を多く刊行しているみすず書房というのも変わっている。そしてそれにふさわしい内容になっている。
 通訳だからこそ披露される多くの話がある。特に脳梗塞で倒れた後の入院・リハビリの日々のことはこれまでほとんど聞かれなかったことでもあり、非常に興味深い。感極まって言葉に詰まってしまったこと、意訳、誤訳、あえて訳さなかったこと。人間的な心情の吐露には共感を感じるとともに、オシムの偉大さを改めて思う。
 オシム脳梗塞で倒れなかったら、日本代表はどんなチームになっていただろうか。日本サッカーはどういう展開を見せていただろうか。返す返すも惜しい。オシムの遺産を生かし伝えること、日本サッカー界はそれを忘れずに継続できるだろうか。オシムほどのスピードではなくともよい。そういう方向性を持ち続けることができれば。いやぜひ持ち続けてほしい。
 W杯を目前にして、再びオシム本が多く書店に並ぶようになった。みんなオシムを忘れていない。オシムの言葉、思い、指導を伝えていってほしい。日本中がそう願っている。

オシムの伝言

オシムの伝言

●矛盾した表現になるが、コントロールされたリスクのおかし方とでもいおうか。99%危険な状況になっても、残り1%のありかに気づくことで危機を回避できるのがサッカーだ。これ以上は危ないと知らせるランプが頭にあれば、そこまではリスクをおかすこともできる。(P38)
●「サッカー選手はミスする権利がある」とまでいったことがある。問題はその内容だ。チャレンジするためにリスクをおかして失敗したのか、それとも消極的だったからミスしたのか。さらに失敗のダメージが最小になるように考えていたのか。・・・それが「敗北は最良の教師」ということであり、「ミスする権利」は「チャレンジする権利」なのだ。(P51)
●自由というのは危険なものだ。民主的な政府でも、完全な自由を得た瞬間、独裁的な政府に変わる。自由を与え過ぎると困る選手もいる。自由を使う能力がないと、自由というものは危険なものになる。(P131)
●ドイツでの結果について、「フィジカルが敗因」だとはジーコ氏も考えていなかったのではないか。本当の敗因を隠すために意図的に「フィジカル」を槍玉に挙げたのではないか―という推測・憶測である。・・・もしジーコ氏が敗因として結束力の不足を指摘したら、マスコミあげて「犯人探し」がはじまったことだろう。それを避けるために、体格差が敗因だと強弁したのではないか(P144)
●日本人の特性なのかもしれないが、誰かが、こうすればいいと言ってくれるのを待っているように見える。自分自身に責任を持つ、自分で決定を下す能力を身につけるべきだ。サッカーはそういうことを反映する。自分で責任を持ってプレーする、自分を頼る。それが私の日本へのメッセージです。(P232)