とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

オシムからの旅

 「よりみちパン!セ」シリーズの一冊。頭に「中学生以上すべての人の」と書かれている。すべての漢字にふりがなが付く。正直読みにくい。少年たちに語りかける口調で書かれている。しかし内容はかなり難しい。中学生で本当に理解できるか。この内容を中学生に伝えることは大事。だが、本当に理解できるだろうか。筆者自身が考え、苦悩している。そのことをそのまま見せることで訴える力を持つ。大人にも訴える。いい本だ。でも全文ふりがなは読みにくい。中学生でも読みにくいのではないか。
 ストイコビッチを通じてユーゴ紛争を知り、「誇り」を書いた。「悪者見参」を書いた。オシムに取材して「オシムの言葉」を書いた。本書はこれらの本をベースに、ユーゴ紛争と政治に翻弄されたスポーツ選手であり監督であるストイコビッチオシムを通じて、民族紛争の実態を描く。そしてユーゴから「日本」を振り返る。
 日本における民族問題、被差別問題を考え、「民族」とは何かを考える。日本にもスポーツと政治の間で奮闘した人々がいる。フランス文学者の鈴木道彦さん、卓球外交をリードした荻村伊智郎さん、柔道家の山口智子さん・・・。
 最後にW杯南アフリカ大会に出場するスロベニア・チームのことが紹介されている。スロベニアは、スロベニア人が8割以上を占める共和国で、旧ユーゴの中でもいち早く分離独立が決まった。しかしスロベニアの代表チームにはセルビア人クロアチア人ボスニア人が混じり合っていると言う。オシムの分析によれば、民族が混ざることでチームが活性化したと言う。サッカーは「民族」の壁を越えられるだろうか。クラブチームではなく代表チームにおいて、民族を越えることができればそんなにすばらしいことはない。
 オシムが「○○人ではなくサラエボっ子」と言うように、「日本人ではなく、○○生まれ」と誰もが言えるようになればいいと思う。

オシムからの旅 (よりみちパン!セ)

オシムからの旅 (よりみちパン!セ)

●国境は宗教より危険なものだ。恣意的なうえに、いつも陰険な緊張感と暴力対決の火種がくすぶっている。だから、民族国境なんてもう取っ払って、新しいものに価値を見つけるほうがいい……、ただし、故郷を捨ててはいけない。(P15)
●「搾取、人種差別、戦争、そして、社会の狭量と侮蔑と冷淡さに対する非難。オシムの言葉を書き留めていたら寛容と多文化へのオマージュができあがった」ここでの「寛容」さとは、広い心で相手を受けいれること。「多文化」とはもちろん文化の多様性のこと。このふたつに敬意をはらうことが、ときに殺し合いまで発展する民族主義を乗りこえる大きなキーになる(P135)
●「空気を読む」とは、けっきょく多数派におもねるということである。これは、じつはとても楽なことで、知恵も勇気も必要なく、ただ周囲の顔色をうかがって思考を停止することがそこでは求められる。・・・そうではなくて、これは単なる思いこみなのではないか、妄想ではないか、信じるに足ることなのかそうではないか、などと思考をつづけつつ、誤りであると思ったのなら、たったひとりでも声をあげること。空気なんか読まない。それがたいせつなのだ。(P177)
●「民族」とは、国民国家を作るためにねつ造された神話であり、さらにいえば、あえて違いを作ることで、ほかの国を自分の国で支配しようとする「植民地主義」または「帝国主義」を正当化するために発明されたフィクションだった、といってもよい。「異なる」民族があるから自然に対立するのではない。対立させるために「民族」が利用された、ということを理解してほしい。(P188)