とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

社長・溝畑宏の天国と地獄

 2008年ナビスコ杯を制覇した大分トリニータが、2009シーズンに屈辱的な連敗を重ねた結果、J2に降格。同時に、累積債務問題でJリーグに6億円の経営支援融資を申請。そして、このチームを文字どおりゼロから作り上げてきた元自治省キャリアの溝畑宏社長を解任し、金崎、森崎らの中心選手を大量放出して、全く新しいチームとして今年度J2で戦っていることは、Jリーグ通の人なら周知の事実だが、一般にはあまり知られていることではない。
 一時は強烈な個性とバイタリティで賞賛された溝畑氏も、現在の大分では、トリニータ凋落の戦犯として罵倒の的だという。社長解任後ほどなく観光庁長官に抜擢されたことも恨み妬みの対象となり、人でなしの罵声を浴びる存在となっている。
 この強烈なまでの溝畑宏の15年間の半生を、溝畑本人はもちろん、側近の社員や支援者、盛衰していったスポンサーの経営者や幹部社員、そして県に情報公開を迫った市民オンブズマン(しかも彼は「県があまりに冷たいんじゃないか」と心情的にトリニータのシンパとなっていく)まで、幅広い取材と客観的な視点で書き上げている。
 溝畑氏の半生はまさに圧倒される。自治省からキャリアとして大分県に出向赴任直後、イタリアに滞在した父親に呼ばれて見せられたイタリアW杯から、何もない(グラウンドも選手もサポーターも本当に何もない)大分にトリニータというサッカーチームを生み出し、育て、そして追われた。
 まず大風呂敷を公言し、そこから自らの裸一貫の働きで中身を作っていく、まるで博打打ちのようなその手法は、同様に裸一貫から立ち上がったベンチャー企業のワンマン社長たちには受けがよく、そこから義理と人情の溝畑宏の15年間が生まれる。しかしそれはある意味、運任せであり、組織として継続しうるものではなかった。
 そこから読み取れるのは、しょせん一人の力では盛衰が余儀なくされ、どこかで平坦な組織体に移行する必要があるということ。たぶんそこのバランスができていなかった。
 外野から批評するのは簡単だと、どこかから叱責の声が聞こえてきそうだが、凡人が読み取れるのはそういうことだ。天国も地獄も楽しく感じられない人間には、天国も地獄も楽しめる人間のことは理解できない。しかしそういう人生があることは理解する。また、地方から発信する県政として強引な行政運営を続けた平松知事の意を受けて、知事の身代わりとして権力機構の中の犠牲となった、という理解もたぶんそのとおりだと思う。
 だからと言って、又はだからこそ、溝畑宏を称揚する気にはなれないが、徹頭徹尾冷たかった大分の財界・行政・メディアにも軽蔑の気持ちを抱く。サッカーがしょせん徒花だとすれば人生も徒花。サッカーをめぐる生き様がひとつ大分で見られた。
 観光庁のHPを見てみた。溝畑会長がアスリートらと握手し、にこやかにカメラに収まる写真がいくつか掲載されている。それ以上には溝畑色を感じることはできなかった。まさかこれらのアスリート相手に裸踊りをしているとは思わないが、日本の観光行政をどうしていこうと目論んでいるのか。トリニータの顛末を見ると、一抹の不安を感じざるを得ないのも事実だ。
 大分トリニータの15年、溝畑宏の15年がこうしてまとめられたことは非常に意味がある。そして、トリニータの今後、溝畑宏の今後が注目される。この物語を見出し明らかにした木村元彦氏の手腕と炯眼に大いに敬意を表したい。

社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年

社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年

●現代は怒涛のように押し寄せるマスコミの情報を精査せず鵜呑みにして人が人を裁く。そんな中で溝畑は義理だとか人情だとか、持ってるんですよ。(P67)
●私は差別に勝つには強要と見識を磨けと言うんです。そして経済的に自立しろ。・・・何より、差別に勝つためには社会貢献することだというのが自分の考えです。(P154)
●2009年が終わった段階で代えなくてはいけないと原は昨年から考えていた。もうひとり、シャムスカの限界を前年から指摘していた人物がいた。強化部顧問の朴景浩である。・・・しかし、英雄シャムスカをスポンサーにとってもサポーターにとっても侵されざる領域だった。(p190)
●溝畑は、坂本龍馬にはなれなかった。稀代のトリックスターともいうべき存在だった。(P227)
●溝畑のファイン・プレーは本人が講演で語る「ゼロから日本一のチームをつくった」ことではなく、叩かれても嫌われても全部自分でのみ込んだ愚直な献身にあった。(P239)