とんま天狗は雲の上

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建物が残る時代と壊される時代

 「作っては壊す日本のビル:池田香代子ブログ」池田香代子さんが赤坂プリンスホテルや名古屋ターミナルビルが解体されようとしていることを嘆いている。「耐震性やバリアフリーの点で、補強するより建て替えたほうが安上がりということで、りっぱなビルがどんどん壊されています。」と書かれているが、たぶんそんなことはなくて、補強した方が安いに決まっているが、改修して使い続けるよりも建て替えた方が経済的な費用対効果が高いと見込んだということだろう。
 最近は、東京R不動産など、建物のリノベーションが注目を集めたり、団地もその濃密な共同性が却って若い世代に人気が出ているという話もあるようだから、そのうち補強して再活用する方が経済的にも効果があるという時代が近づきつつあるような気がする。赤坂プリンスホテルや名古屋ターミナルビルは大きすぎて、かえって再活用が採算に乗らないという可能性は高い。
 数年前にイギリスへ行った際に、オックスフォードのホテルに泊まったら、17世紀位に建てられた建物で、石積みの入口が傾いて、扉が枠から外れて外側に取り付けられていてびっくりしたことがある。
 なぜイギリスには古い建物が今に残され、日本は数十年で壊されるのかという問いに、日本人の国民性や、日本家屋が燃えやすい木や紙でできていることが挙げられることが多いが、石造りの建物が続くロンドンの街並みを見て、「石造りの建物は壊したくても壊すのが大変だからじゃないか」と思った。
 日本も簡単に壊せるうちは壊すし、昨今のように解体費がバカにならなくなると、中古住宅を壊すべきか、改修して使うべきかは、かつてより後者の比重が高くなっているのではないか。
 ローマやロンドンでも、古い建物が全て残っているわけではない。芸術的価値の高い建物を選んで残したわけでもない。ただ時の流れの中で、壊さず使い続けた方が経済的に有利だった建物や壊す経済力もなかった建物、時には所有者に深く愛された建物が、偶然残り、今に至っている。
 そういうと「戦災で壊れた建物を修復・復元した街並みもある」と言う人もあるだろうが、市民アイデンティティや権力構造の維持という観点で、その方が合理的であり、時の市民や権力に支持されたからだろう。残すことが常に絶対ではなく、残す方がより合理的だった建物が残っているということだ。
 私も古い建物や街並みは好きだし、建物が壊されていくのは惜しいと思う。でも仕方ないのかなとも思う。今の時代は後世にどうつながっていくのか。その時代の建物が何もなくなったら、その時代はどう評価されるのだろうか。