とんま天狗は雲の上

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アフリカ人と言っても一様でない

 今、後藤健生の「ワールドカップは誰のものか」を読んでいる。また読み終わったら感想をアップする予定だが、文中に南アフリカの歴史に関する記述があり、アフリカの歴史や人種的な成り立ちについて全く知らなかったことにショックを受けた。
 アフリカの人々と言えば、みんな黒人という感覚でいるが、一方でアフリカ諸国の内紛の報道を聞くと、○○族と△△族の対立といったふうにいくつかの民族があることがわかる。一つの国に複数の民族がおり、国の数も多いので、いったいアフリカにはどれだけの数の民族がいるのだろうかと思ってしまう。そして、その民族間の違いというのはどれほどのものかと疑問に思う。
 「ワールドカップは誰のものか」に書かれた簡単な南アフリカ史によれば、もともと小柄で褐色の肌をした「コイサン人」(遊牧を生業とした「コイコイ人」と狩猟採取を生業とした「サン人」の総称)が先住民として住んでいたところに、12・1世紀頃、カメルーン高地を起源とする黒人「アフリカ人」が入ってきた。彼らは農耕を営み、降水量の多い南アフリカ東部に居住して、コイサン人は南アフリカ西部に追いやられた。
 その後16世紀にオランダ人が入り、コイサン人は天然痘で壊滅的な打撃を受け、南米と同様、混血化が進んで、「カラード」と呼ばれるようになった。しかしアフリカ人は強力で、オランダ人には根強く抗争を続けた。
 ところが19世紀に入り、イギリス人が入ってくる。南アフリカ東部は当時、シャカ王が率いるズールー王国が支配していたが、これをイギリス軍が制圧。オランダ人の一部は内陸に逃れ、独立国を作ったが、ボーア戦争(「ボーア人」とは、遊牧で暮らすオランダ農民の意)によりイギリスが内陸部も征服。しかしその後もイギリス系とオランダ系の対立は続き、1948年の総選挙でオランダ系(彼らは「アフリカーナー」と呼ばれる)が勝利し、イギリス連邦からも離脱。アパルトヘイト政策が実施された。
 その後、抵抗運動などもあって民主化政策が断行され、現在の南アフリカになるわけだが、こうして振り返ると、南アフリカには、褐色のコイサン人、黒人のアフリカ人、オランダ系のアフリカーナー、彼らの混血のカラード、イギリス人と使用人として連れてこられたインド系、マレー系等の人々が混在していることがわかる。
 そしてこれらの人をみんな合わせて「南アフリカ人」と呼ばれる。
 日本には、少数民族としてアイヌ民族が認定されているそうだが、在日朝鮮人日系ブラジル人など民族の混在化は次第に進みつつある。日本民族にしても、南方系、北方系、朝鮮帰化系などありそうだが、今や混血が進んで区別ができないだけかもしれない。
 こんなことを思うと民族ってなんだろうと思うし、世界の国々は民族の混在が当たり前のこととしてあるのだと認識する。