とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ワールドカップは誰のものか

 ワールドカップ南アフリカ大会直前の2010年5月20日に発行されている。これを読んで、「南アフリカ大会の開催意義を考えよう」という趣旨だろうが、今頃読んでいる。そしてテレビで見た限りでは、十分に開催の目的は達せられたと言っていいのではないか。
 その目的とは、「民族を超えた多様な国民の融和を促進し、国民一致団結による更なる発展を企図する」といったところか。開会式でのズマ大統領の感動的な開幕スピーチ。残念ながら決勝トーナメント進出は叶わなかったが、そのことを忘れさせる南アフリカ・チームの健闘。唯一残ったアフリカ・チーム、ガーナへの熱狂的な応援。準々決勝では「人種差別反対」のアピールがゲームキャプテンによって読み上げられ、世界に人種問題解決を効果的にアピールした。ゲームの面白さに加えて、初のアフリカ開催の意義と効果に十分に思い至った1ヶ月だった。
 本書は、前半の第1部が「ワールドカップの政治」と題して、過去のワールドカップの開催地がいかに決められ、開催されてきたか。その権力闘争や政治利用の現実を紹介する。第3章では、会長とヨーロッパ諸国理事との争闘の中で決定された日韓共催の真実を紹介している。
 一方、後半の第2部は「南アフリカ開催の意義」だ。南アフリカがどうして多人種国家になったのか。現在の状態になるまでの南アフリカスポーツの歴史とサッカーを取り巻く現状。そしてだからこそ期待される南アフリカ開催の意義などがわかりやすくまとめられている。特に南アフリカの歴史は知らなかったことが多く、勉強になった。
 次回、2014年大会はブラジル開催で決まっているが、その後の2018年、2022年ワールドカップの開催国は2010年12月に決められる、日本も招致活動を行っているが、メディアの盛り上がりは前回共催時に較べるとはるかに静かな気がする。
 2018年はヨーロッパで決まり。ただしロシアがどうなるか。政治的利用の観点から注目される。一方、2022年は、日本、韓国の他、アメリカ、オーストラリア、カタールが名乗りを上げている。過去の開催実績を考えると、オーストラリアとカタールが有力な気もするが、さてどうなるか。どこに決まったにせよ、その裏に何があったのか、また本書に書かれたような内実が語られるのだろう。それがまた楽しみである。

ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略 (文春新書)

ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略 (文春新書)

●「大陸持ち回り制」というのは、実際にはアフリカ大陸と南米大陸でワールドカップを開催させるための方便だったと言わざるを得ない。/融通無碍。これこそFIFAという組織の最大の特徴であり、目的のためには原理原則はどうにでも変更することができるのだ。(P16)
●ヨーロッパ側の理事たちにとっては、2002年ワールドカップ開催国決定は権力奪還のための手段であって、彼らは特別に韓国を支持していたわけではない。彼らにとっては、日本であろうが、韓国であろうが、どちらでもいいことなのだ。というより、多くのヨーロッパの理事たちは、地理的に隣接する日本と韓国がどのような関係にあり、両国間にどのような違いがあるかについてほとんど知識すらなかったことだろう。(P78)
●もし、バントゥー系のアフリカ人が南下してくるのがもう500年遅かったとしたら、・・・南アフリカは現在のオーストラリアやカナダのような白人優位の国家になっていたことだろう。逆に、アフリカ人がやってくるのが500年早かったら、・・・南アフリカは、他のアフリカ諸国と同じように白人少数支配が行われ、独立後は普通のアフリカ人国家になっていたことだろう。/南アフリカ多人種共存する「虹の国」となったのは、まさに歴史の偶然によるものと言っていいのである。(P109)
●2002年の日韓ワールドカップが、日韓の友好をもたらしたのと同じように、南アフリカ開催の2010年ワールドカップが、南アフリカという国に民族間の和解をもたらすための一つのきっかけになることだけは確かだろう。(P155)