とんま天狗は雲の上

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東京の副知事になってみたら

 道路公団民営化委員の時の猪瀬氏はかっこよかった。東京都の副知事就任には、この人はいったい何を考えているのだろうと思った。本書を書店で見た時、最初はあまり読もうという気がしなかった。パラパラと開いてみたら、高齢者の住まいに関する記述があった。仕事柄、その部分を読みたいと思って購入した。
 しかし最も関心のあった部分の記述は、あまりに簡潔で本書だけではよくわからない。これは猪瀬氏の政策を説明する本ではなく、どうして東京都の副知事となり、行政政策についてどう評価し、今後の日本の政策・戦略についてどう考えているか。猪瀬氏の姿勢や考え方を説明した本である。
 「自分は作家である」ということを何度か主張している。猪瀬氏の本をこれまで読んだことがないので、作家としての猪瀬氏をどう評価していいのかわからない。ただ石原慎太郎と同様、作家というのは感覚で物事を決め、言葉で説き伏せ、実行していくタイプの人間であることはよくわかる。作家らしい勢いのある筆致で描かれると、なるほどと思わず説得させられる。本当に正しいかどうかはよくわからない。例えば環境政策にしても、猪瀬氏は経済政策として捉えているが、それは正しいとして、それに成算があるのかどうか、他により有利な戦略はないのか、というところがわからない。
 文中、参議院議員宿舎の建設協議にやってきた国の政治家と参議院事務局の課長を喧嘩腰でやっつける場面が出てくる。言葉の力、論理を操ることを得手とする作家らしいエピソードだ。石原知事との相性がよいだろうこともよくわかる。
 考えてみれば、政治家も同種な人種のはずだ。しかし彼らは調整という仕事に慣れ過ぎてしまったかもしれない。その点、いつでも作家に戻ることができる猪瀬氏は強い。論理と言葉が彼の武器だ。
 帯に「作家は『行政の現場』でどう格闘したか」と書かれているが、実は本書に書かれているのは、東京都政の内実ではなく、国家官僚と政治家の内実である。そしてそれが実に悲惨であり、日本の将来にとっての癌であることを明らかにしている。石原知事の後を継いで猪瀬氏が後任知事になることが、日本のためになるのかもしれない。少なくとも橋下知事よりははるかに論理的で説得力があるように思う。
 そうか、本書は実は、来春の都知事選に向けてのアピール本なのだろうか。

東京の副知事になってみたら (小学館101新書)

東京の副知事になってみたら (小学館101新書)

●僕がまがりなりにも作家でいられるのは1億3000万人近い日本語市場があるからだ。・・・日本語市場があるから新聞も出版も産業として成り立ち、明治時代から欧米の作品も翻訳され広く知識も普及し、作家も簇生した。(P34)
●役所は朝令暮改をしない。一度決めたら変化しないことは褒められたことではない。民間企業では毎日のように朝令暮改をして生き残りをはかるのはあたりまえだ。(P74)
●鉄道・航空などの公共交通機関はなぜ24時間使われていないのか。役所がいろいろな規制をもうけるからだ。コンビニのような規制のない世界ではたちまち24時間化が実現している。東京は、空間的な開発と同時に時間の開発が必要だった。時間の開発がないがしろにされてきている。(P110)
●欧米が排出抑制という「入口戦略」に積極的なのは、「出口戦略」にかんするビジネスモデルをすでに構想しているからだ。キイワードは「CCS(=Carbon Capture & Storage 炭素回収貯蔵技術)」である。(P144)
鳩山首相が打ち出した削減目標自体はいいことだが、国家として「出口戦略」までつながっていなくてはならない。「出口」がないから、「25パーセント削減」と言ったきり、「入口」での交渉もリードできていない。日本には外交が存在しないのだ。環境政策は単なる道徳論ではなく、ビジネスとして国益につなげていく戦略が必要である。(P145)
●ヨーロッパでもなく、アジアにありながら唯一の成熟国家の日本には、もともと右とか左などという概念がない。冷戦の崩壊も、価値観としては本質的な衝撃ではなかった。伝統の井戸を掘りながら智恵を探し、それを未来の技術と融合させ、世界史の例外が世界史のなかで独自の役割を果たせればよい。(P187)