とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

電子書籍って本当にコンテンツ閲覧デバイスと一体でなければ普及しないのだろうか。

 iPadを契機に一躍話題になったのが電子書籍。先日の「iPadも、当分様子見だな」でも電子書籍の可能性について書いたけど、考えてみると、どうしてiPadキンドルでないと電子書籍が読めないと考えるのだろう。
 もちろん専用のフォーマットで提供される書籍はiPadキンドルでなければ読むことはできないが、PDFで提供してもらえば、普通のパソコンで読むことができる。iPadなどなくても電子書籍を読むことは全然可能だ。
 電子書籍に関する本を(本屋で立ち読み)読むと、電子書籍iPadキンドルなどのデバイスと一体で語られているが、本当にそうだろうか。本は通勤時など移動中に読むものという固定観念に縛られすぎてはいないか。
 確かに私の場合も、文庫や新書は通勤中に読んでいるが、専門書や単行本、雑誌などは重いし、車中で拡げるのも憚られるので、なるべく自宅や職場で(仕事の合間に)読むようにしている。ならばパソコンで読めばいいではないか。
 実は先日、ある専門書が電子書籍(PDF版)だと通常の1/3の価格で販売されていたので思わず購入した。確かに通勤中に読めないので、まだほとんど読んでいないが、専門書の場合、内容が重要なので、PDFを入手できれば全く支障がない。引用するにはその方が便利なくらいだ。
 考えてみれば、「生命保険のカラクリ」は無料PDF版が出ていたので、それをダウンロードして読んだ。国や地方自治体の調査報告書なども最近はPDF版がホームページで提供されていることが多い。最近では、国土交通白書建築物ストック統計報告書はこうして手に入れた。いずれもこれで十分だった。
 こうして考えてみると、「電子書籍は閲覧デバイスやフォーマットが整備されてから」というのは、単に書籍版の価格の値崩れと書店を通さずコンテンツが流通することによる日本独自の出版システムの維持を図るための言い訳ではないかという気がする。
 もちろん、閲覧デバイスと連携した電子書籍出版の普及・拡大も必要だろうが、通常の書籍出版と合わせて、PDF版を印刷経費等を控除した廉価版で発行することは、すぐにでもできるはずだ。アゴラブックスなどは既に実施していることだが、どうして同じことが大手出版社でできないのか、理解に苦しむ。
 そう言えば、内田樹著作権保護を批判して、『「書くことの目的は生計を立てるではなく、一人でも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」との考えから、ネット上での公開物については「著作権放棄」の考えを示しており、剽窃での出版すら容認する発言をしている』(Wikipediaから引用)が、PDF版による廉価版出版について、もっと出版担当者に働きかけてくれないかな。最近、内田本に対する出費が尋常ではないので。内田先生、乞う検討。