とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

アフリカサッカー

 ワールドカップ南アフリカ大会が終わってもう1ヶ月が過ぎ去ろうとしている。スペインの優勝とオランダやドイツ、ウルグアイの快進撃が大会を盛り上げ、非常にいい大会だったと改めて思う。
 開催国の南アフリカは残念にもグループリーグで敗退したが、メキシコやウルグアイを相手に接戦を演じ、フランスには快勝して国民を熱狂させた。そしてガーナの頑張りはこの大会がアフリカ大陸全体の大会であることを印象付けた。
 この本の終章に以下のような記述がある。

●確かにアフリカのその他の諸国は当時よりは良い方向へと変わってきた。・・・優秀な人材の国外流出も以前ほどではなくなり、人の流れが逆転する傾向すら見えはじめている。そしてもっとも楽観的な見方をすれば、2010年ワールドカップは汎アフリカ主義を讃えるイベントとして世界にメッセージを伝えるはずだ。(P341)

 確かにその「楽観的な見方」が現実のものになった。大会後の南アフリカはまた深刻な格差と経済苦境が国を覆っているかもしれない。その他のアフリカ諸国でもまた部族対立や経済紛争が復活しているかもしれない。アフリカに対して日本のメディアの関心は非常に低いので、ニュースがほとんど入ってこないが、ワールドカップはきっとアフリカの将来に対して一つの転機となり、良い未来へのきっかけとなったと信じたい。
 本書はそんなワールドカップ開催を目前に控えた2009年9月に原著が出版され、訳書も開幕直前の5月に発行されている。しかし、今読んでみても面白い。いや、ガーナやコートジボワール南アフリカなどの活躍を見た後で本書を読むと、あの活躍の陰にこんな歴史や課題を抱えていたんだと興味も一段と深まる。
 副題に「歓喜と苦悩の50年」と付けられている。南アフリカ開催が決まった2004年の理事会のシーンに始まり、第1章はヨーロッパへ原石の選手を供給するアフリカの実態、第2章ではアフリカ外国人監督列伝、第3章では興味深いアフリカ独自のサッカー用語について、そして第4章は独裁者や政治に利用されるアフリカサッカーの現実を描く。中でも第2章では、トルシエが単独インタビューに応じて話しているところが面白い。
 第5章以降は、アフリカ各国のサッカーの歴史を振り返る。アルジェリアチュニジア、モロッコの北アフリカの国々。不屈のライオンカメルーンの苦悩。南アフリカアパルトヘイト下での闘い。飛行機事故で代表選手を一挙に亡くしたザンビアとその後。スーパー・イーグルス、ナイジェリアの活躍。トーゴベナンは魔術師の国だそうだ。そして第11章では、2002年日韓大会でのセネガル宗主国フランスの対戦を回顧し、2006年ドイツ大会を振り返る。他にも、アフリカのレアル・マドリードアル・アハリ。ガーナ、マリ、コンゴ民主主義共和国(旧ザイール)・・・。多くのアフリカ諸国の歴史と現状を豊富な取材をもとに紹介している。
 著者は英国サンダータイムズ誌のサッカー担当アフリカ特派員、イアン・ホーキー氏。その溢れんばかりの知識と経験は、本書を臨場感があり愛情あふれた作品に仕上げている。またあの大会の興奮を思い出してしまった。いい大会だった。

アフリカサッカー 歓喜と苦悩の50年

アフリカサッカー 歓喜と苦悩の50年

クーベルタンといえば近代オリンピックの生みの親だが、熱心な植民地主義者でもあった。クーベルタン男爵は言っている。−「支配されるべき人種が支配する人種に対してスポーツ競技で勝利の味を覚えれば、たとえそれがお遊び程度のものであったとしても、反乱に結びつく恐れがある」。(P44)
●アフリカは、進歩を恐れているんです。それが真相です。アフリカでは、優秀な人物は遠ざけられる。これは深刻な問題です。アフリカはまだ植民地時代を克服できていない。・・・つまり、権限を持っている人間たちが、自分自身に、そしてお互いに、自信を持てずにいるのです。だから自分たちの既得権益を守る最良の方法は、外国の言いなりになることだと、思い込んでいるのです(P70)