とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

祖国と母国とフットボール

 日本・中国・北朝鮮・韓国。極東アジアで軍事的緊張が高まっている。在日朝鮮人の方たちも大きな緊張の中にいるに違いない。しかしサッカー界では多くの在日プレーヤーが活躍している。ベガルタ梁勇基リャン・ヨンギ)、ヴィッセル朴康造パク・カンジョ)・・・。彼らは残留争いの渦中にあって、大きな声援を受けて活躍をしていた。サンフレッチェには李忠成(り・ただなり、イ・チョンソン)がシーズン後半に入ってゴールを重ねた。フロンターレにいた鄭大世チョン・テセ)はこの夏、ドイツのボーフムに旅立った。そして先のW杯南アフリカ大会には鄭大世とともに安英学アン・ヨンハッ)の姿があった。
 彼らは在日朝鮮人の3世・4世として日本で生まれ育ってきた。国籍も朝鮮、韓国、そして帰化した日本人とさまざまだが。いずれも朝鮮学校に通い、朝鮮教育を受けて育ち、同時にサッカーに打ち込み、職業にした。しかしここまでの道のりは誰にとっても尋常ではなかった。在日外国人に対するJリーグの門戸は狭く、彼ら自身、日本人に対する戸惑いや緊張もあり、そして在日社会からの偏見や圧力も受けた。さらに、北朝鮮代表や韓国Kリーグなどに参加することで、母国であるはずの北朝鮮・韓国人からも差別され心の傷を負った。その複雑な環境の中で、彼らは自らの「ザイニチ・アイデンティティ」を育んできた。
 本書は、現在活躍する在日サッカー選手だけでなく、在日朝鮮サッカー界を作ってきた多くの人々を追い、それぞれの時代の中で、彼らがどう感じ、どう考え、どう戦い、どう選択し、どう生きてきたかを描いている。序章、終章を除き、全部で7章。登場する在日選手や指導者は20名近く。どの章もいずれも涙なしには読めない。電車の中でジッと涙をこらえた。
 彼らはサッカーを愛し、サッカーのできる環境を追い求め、その中で在日という自らのを存在を受け止めてきた。サッカーは国籍も民族も超える。何かと騒がしい今だからこそ、在日を考え、民族を考えてみたい。ユーゴスラビアで、アフリカで、ヨーロッパで、ぼくらはサッカーの力を見せつけられてきた。日朝韓の間でもサッカーが大きな力となることを信じたい。そしてそれをリードするのは在日サッカー選手たちかもしれない。

●サッカーはときに、政治ができないことをやり遂げることができる。政治を動かすことはできなくても、緊張を和ませることはできる。そして、その媒介の役割を在日ができるのではないかと。日本も北朝鮮も知り尽くしている在日だからこそ、“両国をつなぐパイプ役”にもなれるのではないかと、思った。(P22)
●「オレの母国は日本じゃない。日本の中にもう一つの国があるんですよ。それが“在日”という国。朝鮮でも、韓国でも、日本でもない“在日”という国が、オレにとっての母国なのかもしれない。そして、その在日という存在を、広く世に発信するのが、オレのテーマなんじゃないかと思う。」(P67)
●「僕は在日に生まれて本当に良かったと思います。在日はしっかりバランス感覚を持っていれば、朝鮮や韓国のことも、日本ともかかわっていける。どちらの立場も理解できるし、尊重できるし、橋渡し役にもなれる。国境という境界線があるなら、その境界線に立てるのが在日のメリットだと思うんです。・・・そういう恵まれたポジションに生まれたからには、僕はその運命に従いたい」(P196)
●夢を追いかける若者たちがいる。それを支える人々たちがいる。国籍も民族も関係ない。そこにあるのは、消えることのないサッカーへの情熱と愛だ。有名無名を問わず、サッカーに生きる在日フットボーらーたちが、今日もどこかでボールを追いかけている。(P276)