とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

八百長が問題ではなく、八百長の結果としてのつまらなく醜い取り組みが問題なのだ。

 大相撲の八百長が発覚しこのところ大騒ぎになっている。でも昔から大相撲で八百長が行われていることは週刊誌の話題になり騒がれてきた。これまでは力士の告白だったものがメールに変わったということで、物的証拠が出てきたということかなあ。なんで今回急にこんなに騒がれるのかよくわからない(実は民主党の稚拙な国会運営隠しとか?)。
 だいたい年間90日も戦い、何百人もの力士が所属し、各場所15日間の勝敗で争われるわけだから、15日間の成績で帳尻を合わそうと考える力士がいるのは当然だ。よく言えば作戦。
 サッカーでも大事なゲームの前のカップ戦などで主役を温存してゲームに臨むのはよくあることで、いつも全力なんていうのは精神的にはあり得ても、現実的にはあり得ない。Jリーグベストメンバー規定が批判されるのはここに理由がある。
 だいたい連日試合を行うプロレスで八百長疑惑を誰も指摘しないのに、大相撲だけが批判されるのはおかしい。国技だからというのは完全に精神論に偏っている。伝統技能だからこそ「型」を大事にして、常に美しい取り組みを見せるべきで、「ガチンコ=常に美しい」とは限らない。伝統技能にふさわしい取り組みを見せるために、協会を挙げて調整するということは必ず批判されるべきとは思わない。
 プロレスは例え演技であっても面白ければよいわけで、大相撲も例え演技であっても美しい取り組み披露できればいいという考え方もある。そうでないと、福祉大相撲はけしからんということになる。八百長が問題ではなく、八百長の結果としてのつまらなく醜い取り組みが問題なのだ。
 それで次は公益法人として適性かどうかが問題となっている。このあたりまでくると、どうも裏に利権が絡んでいるんじゃないかという気がするが、私は、公益性の高い株式会社もあれば(例えば豪雪の中、過疎地を回る移動販売者とか)、どこが公益かわからない公益法人も多い(例えば宗教法人)と思っている。
 いっそのこと公益法人なんて全て廃止して、ついでに法人税も廃止して、売上税(利益ではなく売上に対して一律1%課税とか)に一本化してもいいんじゃないか。それでもって所得税の累進性を高める。暴論ですか。ま、八百長擁護からして暴論ですから。