とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

バウドリーノ

 ウンベルト・エーコの待望の新作である。時はエーコお得意の中世。12世紀後半から13世紀初頭。イタリアはミラノ近郊のロンバルディア地方、フラスケータという農村。この地の農夫ガリアウドの息子として生まれたバウドリーノは、その類まれな語学力と口から先に生まれたかのようなほら吹きの才が幸いして、フラスケータ特有の霧の中でイタリア征服中の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒと出会い、気に入られ、養子となる。
 成長し、パリで学び、教皇との対立の中にあって、皇帝のイタリア征服の使者として故郷のフラスケータに戻り、その地にアレッサンドリアが出来上がっていくところに立ちあう。久しぶりに友や両親と出会い、皇帝と住民たちとの仲裁を図り、やがて皇帝の十字軍進攻とともにエルサレムをめざす。旅の途中、皇帝の不審死に立ちあい、やがてバウドリーノは多くの友人たちとともに、司祭ヨハネ王国を探す旅に出る。
 アレッサンドリアエーコの生まれ故郷であり、フリードリヒとイタリア諸都市との抗争、十字軍遠征、司祭ヨハネ王国ブームなども全て史実通りだと言う。ガリアウドやバウドリーノの伝説も。バジリスクマンティコア、スキアオポデスなど、次々と現れる奇怪な怪物たちも当時の書物に伝えられる伝説の怪物たちだ。そしてやがてバウドリーノたちは宦官に支配された助祭ヨハネの住む国、プンダペッツィムに至る。
 最後には皇帝の死にからむミステリアスな謎の解明まで出てきて、まさに中世テンコ盛り、ロマンと伝説の冒険譚となっている。面白い。最高に面白い。
 エーコのこれまでの著作、「薔薇の名前」は推理仕立ての中世ロマン、「フーコーの振り子と「前日島」は衒学的魅力に満ち溢れていたが、第4作に至り、最高に楽しい奇想天外な物語となって現れた。知性と物語と感動の全てが詰め込まれた最高の小説の登場だ。

●「あなたがこの世で唯一の歴史家だと思わないほうがよい。遅かれ早かれ、バウドリーノ以上に嘘つきの誰かが、それを語るようになるでしょうから。」(下P347)

 この最後の文章を書きながら、エーコが舌を出しているのが見えるようだ。

バウドリーノ(上) (岩波文庫)

バウドリーノ(上) (岩波文庫)

●あなたは自らの告白によって、自分が誰か、もはやわからなくなっている。おそらくそれはまさに、あなたがあまりに多くの嘘を、あなた自身にさえもついてきたからなのです。そして今、あなたの手から漏れてゆく歴史を私が構築するように求めています。(上P56)
ボローニャの教師が、ほかのいっさいの権力、つまり、父上や教皇や他のすべての君主から本当に独立し、法にのみ従うことを認める法律を父上が作れば、そうなるでしょう。彼らが世界で唯一のこのような地位をいったん授けられれば、こう主張します。正しい理性、自然の光、伝統にしたがって、唯一の法はローマ法であり、それを体現する唯一の存在が神聖ローマ皇帝である、と。(上P81)
●聖遺物を真たらしめるのは信仰であって、聖遺物が信仰を真たらしめるのではありません。(上P149)
●思うに、物語る者はつねに、それを聞いてくれる誰かを必要とします。その誰かがいて初めて、自分自身にも物語ることができるのです。(上P276)
●「われらが主は大工の息子、自分よりも腹を減らした人々とともに生きた。・・・そんなお方が、黄金とズルビズッポリとやらでできた杯をもってバカ騒ぎするか? いいかげんなことを抜かすな。お父上様が木の根っこから彫り出した、こんなふうな椀さえあれば主は御の字だったはず。・・・」/いまいましいが、とバウドリーノは思った。この哀れな老人の言っていることはもっともだ。グラダーレは、主と同じように質素で貧しい、この椀のようなものだったにちがいない。きっとだからこそ、誰もが手の届くところにあるのに、それに気づく者はいないのだろう。(下P27)
●私の心の奥底にある苦しみは、王国が存在しないのではないか、ということなのです。王国のことを私に話したのは誰か? 宦官たちです、私が子供の頃からずっと。・・・もしすべてが、この属州、おそらく全宇宙が、宦官の陰謀の所産であって、彼らが私を・・・からかっているのだとしたら?・・・天と地の創造主を信じ、私たちの神聖な宗教における到底理解できないような神秘を、たとえそれが理性に反するときでも信じるには、どんな人であれ深い信仰が必要です。(P192)
キリスト教徒は、世界を創造した残酷な神を信じていますが、その神は世界とともに、死と苦しみ、それに、肉体的な苦しみよりももっとたちの悪い魂の病も創造したのです。被造物は、自らの同類を憎んだり、殺したり、苦しめたりしても平気。あなたはよもや思わないはずです、正しい神が、自らの子たちをこのような悲惨な世界に捧げるなんて……」(下P221)