とんま天狗は雲の上

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名古屋市議選の立候補者たち 議会文化崩壊の兆し?

 先月6日の愛知県知事選、名古屋市長の出直し選挙と同時に行われた名古屋市議会の解散を問う住民投票により解散された名古屋市議会の出直し選挙が、いよいよ今週末の13日に行われる。
 定員75名のところ138人が立候補する激戦となり、各紙も連日、その行方を占う記事を掲載している。自民・民主等の「既成政党」対河村市長率いる地域政党減税日本」の対決と言われているが、減税日本から立候補している人たちの経歴がけっこうすごい。
「中日新聞:脱「プロ議員」化どこまで 名古屋市議選、減税日本の新人」
 「Chikirinの日記:パンが無いならケーキを喰え的 立候補の勧め」で書かれていたことが現実になっている。「立候補は研究のフィールドワークの一つ」という大学院生。「議員の経験は人生の1ページ」という学生。デイサービス職員や空手道場主、僧侶。さらには、高速道路料金の徴収員を退職して立候補した人もいる。半減される議員報酬800万円でもこれまでの年収の2.5倍というのは事実だろう。
 「おまえの人生経験や研究のために税金を使うな」とか、「選挙は就職・転職活動と違うんだ」という批判は当然想定されるが、市民はどう判断するのだろう。これまでも例えば小泉政権下の郵政選挙では多くの小泉チルドレンが誕生したが、中でもそれまでフリーターだった杉村太蔵氏などはその典型で、勢いに乗れば多くの「アマチュア議員」が誕生する可能性がある。
 私は河村市長の言う「ボランティア議員」には反対しないが、現在の議会運営の仕組みが彼らのような議員を想定していないと思われるので、議会の混乱を危惧する。現在の議会は政党政治を前提に組み立てられ、会派に応じて質問者数が配分され、また事前に指名され、質問は事前に通告され、答弁もかなりの程度、事前に準備されている。そのことを今回の立候補者たちはどれくらい知っているのだろうか。自由な発言が許される学級討論や株主総会などとは違うのである。事前に議会傍聴をしたことはあるのだろうか。当選者には後でレクチャーがあるだろうが、その時に初めて驚くことはないだろうか。
 もちろん現在の手垢の付いた因習的な議会運営がいいとは思わない。本来、議員とは市民の代表なのだから、市民の属性に応じた多様な属性の議員がいることが望ましい。すなわち男女同数、主婦代表、サラリーマン代表、自営業者代表、公務員代表・・・。その点で現在選出されている議員は非常に偏っている。河村市長の「ボランティア議員」にも一理ある。
 前にこのブログで「議員の兼業と口利き」について書いたことがあった。そこでは、「兼業はいいが、その状況をきちんと公開しろ。口利きは禁止または公開しろ」と書いた。その意見は変わらないが、今回、多くのボランティア議員が誕生するのであれば、それを前提とした議院運営や制度改正が望まれる。
 そして議員を市民代表とするのであれば、代表を送り出せない社会の仕組みを変える必要がある。とりあえず、会社員や公務員は、議員である期間は休職できる仕組みや議員との兼職を可能とする制度が必要である。河村市長はそこまで考えているのだろうか。