とんま天狗は雲の上

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災害とリスク設計

 経済学者の池田信夫氏はIT時代において最も積極的にネットで発言をしている人の一人である。自身「池田信夫ブログ」を開設するとともに、言論プラットホーム「アゴラ」を運営、さらに各種のブログを紹介する「BLOGOS」においても主導的な役割を果たしている。自ら書き込んでいるのは「池田信夫ブログ」と「アゴラ」であるが、たぶん前者では試論的な投稿も行いつつ、後者で公論を提起するという感じで書き分けているのだろう。
 前者の「池田信夫ブログ」で3月31日に「自動車や石油火力は原発より危険である」と書いて、かなり反響を巻き起こした。
 その後、4月11日に「アゴラ」へ書き込まれた「安全神話からリスク負担へ」ではかなりマイルドになり、「安全神話を捨て、原発の危険性を前提にして、どこまでのリスク負担にどれだけ補償が必要かという正直ベースの対話で相互不信を払拭することが必要」という主張になっている。もっともこれとて原発推進の立場、原発は捨てられないという立場での提議なので、反発する人は多いだろう。
 自動車事故の死亡リスクは年5000人だという中島岳志氏の発言を取り上げつつ、「TWh(1兆ワット時)あたりの死者は、石炭火力の161人に対して原子力は0.04人である(ほとんどがチェルノブイリ事故の死者)。石炭や石油の死者は、主として採掘事故によるものだ。少なくとも人命を基準にするかぎり、原子力は石油火力はもちろん、バイオ燃料より安全なのだ。」と言ってみせる。
 中島岳志氏の発言は、リスクと利便性の比較事例として自動車の利便性と事故死者数を取り上げたものであり、原発のリスク検討については死亡者数での比較検討はしていないのだから、池田氏の指摘は「揚げ足取り」と言ってもいいのかもしれないが、何をリスクに取り、何と比較するかは論者の立場によってそれぞれで、一概に何が正解とは言えない。
 私も阪神・淡路大震災の死者が6、434人と聞いて、当時、交通事故よりも少ないと思った記憶がある。死者だけならそうだが、経済的損失は計り知れない。
 リスクについては、工学専門家なら常識だが、100%安全な設計というのはあり得ない。想定される危険について、一定の確率で発生する外力を設定し、それに対して設計を行うのが通常だ。例えば、河川整備計画では「30年に一度の確率で発生する豪雨に対して安全な河川整備を行う」などと言われる。
 一般の建築物では、耐用年限内に数度遭遇する地震に対して無被害または軽微な被害にとどめるとともに、きわめてまれに起こる地震に対しては、損傷しても崩壊せず人命を守ることを設計の目標としている。これ以上の耐震性を求めることもできるが、強度に応じて建設費も上昇し、また間取り等の制約も大きくなる。もっとも、この考え方がどれだけ一般市民に共有されているかと言えば、はなはだ心もとない。
 池田氏が主張しているリスク負担を考えるとは、設計(リスク)条件に応じた経済負担額を算出し、対応方針を設定しろということで、その限りでは大変にまっとうで正しい意見である。問題は経済価値に変換することが困難な損害が少なくないということだ。
 物的な損害だけなら算定も可能かもしれないが、例えば10年に渡り福島県に住めないとした場合の経済的損失はどれだけか。一人ひとりについて住み続けた場合と移転した場合の経済的差額を積み上げ、かつ精神的な慰謝料も加算する。という作業がどこまで可能なのか。可能として、万人を納得させることができるのか。
 災害に対するリスク設計というのは、言うほどには容易ではない。