とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー批評 51

 「日本のサッカーは誰のものか?」。副題に「3.11サッカーの存在意義を考える」とある。副題は明らかにフクシマ原発事故後に付け加えられたと思われる。記事にも震災関係のものが多い。中でも最初の記事「Jビレッジの存在意義」は、サッカー誌ならではの記事かもしれない。しかし同時に、一般マスコミが取り上げていてもいいテーマである。なぜなら取材先のJビレッジは、サッカーナショナルトレーニングセンターであり、かつ現在は原発事故処理の最前線基地であるからだ。Jビレッジが現在そういう使い方をされていることは知っていたが、現状どうなっているのかを報道してくれるメディアはない。そこでは東電の数次も下の孫請け作業員やゼネコンの社員等がひっきりなしに訪れては原発現場に向かっていくという。こういう報道をこそ、今われわれは知りたいと思う。
 同様の視点と言っていいだろう。岡野氏や長沼氏とともに戦後初めての海外遠征に行った代表GKがいる。村岡博人氏はその後共同通信の記者となり、反骨のジャーナリストとして、沖縄返還密約、金大中事件ロッキード疑惑等を追いかけた。もう80歳になる老ジャーナリストへのインタビューはサッカー誌を超えて、ジャーナリスト論として秀逸である。
 また、塩釜FCの小幡氏への取材も胸を打つ。小笠原や北沢などの支援活動を行っているサッカー人への取材記事もある。限られた時間のなかで十分満足のいく内容となっている。
 その一方で、震災以外の記事はやや掘り込みが浅い。唐突感がある。たぶん当初予定していた内容から、震災後、大幅に変更したのだろう。女子サッカーやろうサッカーなど、普段あまり光が当たらない分野へも積極的にアプローチをしていただけに残念だ。次号以降でさらに突っ込んだ記事を期待したい。
 それにしてもなぜサッカー専門誌でこうした内容の記事を読まねばならないのか。一般マスコミは何をしているのか。そちらの怒りが込み上げてきた。

サッカー批評(51) (双葉社スーパームック)

サッカー批評(51) (双葉社スーパームック)

●作業に忙殺されている現場であり、放射線汚染や治安の問題でマスコミの立ち入りを制限するのは分かる。しかし、ならばなぜ政府も東電も定期的なメディアツアーを組まないのか。・・・安全に関わる最大の懸案事項として国内外を問わず、注目を浴びている原発事故の復旧現場の状況をなぜ知らせようとしないのか。・・・風評被害を防ぐ最大の方法はしっかりとした情報を伝達することではないか。良いことも悪いこともフラットに伝えるべきである。(P009)
●イメージと違って潤沢な交付金は使い道を国にコントロールされているわけですね。/佐藤「ええ。ですから、地元は非常にいい思いしたろうと思うのは間違いで、私は何とかあの地域に企業を誘致したりしておかないと、いけないと考えたわけです。そうしないと50年経ったころに持って行く先の決まっていない巨大な使用済み燃料だけが残ってしまうかもしれない。・・・/交付金も固定資産税もだんだん目減りしていくし、自由に使えない。かといって他の産業はないので、自立は遠のいている。言葉は悪いですが、原発は一度打ってしまうと打ち続けないといけない薬物のようですね。(P013)
●「皆、『がんばれ』『がんばれ東北』って言ってくれるけど、頑張れるやつだけ頑張れって、思うね。オレはいつも頑張れねえやつはしょうがねえべって言うんだから。そいつのペースでいいんだよ」(小幡)/小幡が築きあげたのはトップダウンの帝国ではない。網の目のようなネットワークと信頼関係である。そこに大きな鍵が埋まっているように思う。(P034)
●現地でね、小学生の息子さんを持ったお父さんが「そのボールをください」とおっしゃった。練習着のお古をくれたりして息子をかわいがってくれた、非常にサッカーの上手な高校生のお兄さんがいらした、と。「お兄ちゃんの棺に入れるサッカーボールをください」と。……無念でした。(P059)
●ピッチ同様に社会全体を俯瞰して見てあそこが危ない、あそこにこんな事態が起きたら、取り返しがつかないと、バブル期も原発も調子の良いときに舞い上がらずに警鐘を鳴らすGKのような人間が必要で、本来はそれを担うのがジャーナリズムだという。(P066)