とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

生物多様性のウソ

 武田邦彦と言えば、最近は原発事故による放射性物質の拡散を巡るブログや言説で注目を集めているが、その前はリサイクル問題を中心に環境問題に対する批判の急先鋒としてテレビに多く出演していあ。
 わかりやすいが一面的でもある、というのが基本的な接し方だとは思うが、生物多様性の問題に対しても、批判的な立場を堅持している。
 昨年、私が住む愛知県で生物多様性条約に関するCOP10が開催され、この問題に対する関心が高まった。市民レベルでの「生物種の絶滅は哀しい。絶滅種を守ろう」という態度と、会議での「生物資源の利用から生じる利益の分配」を巡る論争とが感覚的にすれ違い、生物多様性も一筋縄ではいかない胡散臭いものを孕んでいる感がした。
 この問題に対して、武田先生は「生物多様性は、地球温暖化と並んで、アメリカとヨーロッパが自国を優位にするために、環境という名の下で持ち出してきた国際戦略」(P139)とスパッと言い放つ。
 中国辺境部でしか取れない貴重な薬草が絶滅してしまうことは人類にとって大きな損失ではあるが、人間が絶滅することによる地球への影響というレベルで考えれば、そんなことは大した話ではない。むしろ本来、市場原理で決まるべき話で、条約を振りかざして開発規制を掛けるのはそもそも好ましい手法ではないのかもしれない。
 われわれはもっと謙虚にならなければいけない。生物や環境という科学の問題を、政治や外交の世界での課題にするのは問題があるのかもしれない。これらの問題は文中でも取り上げられているとおり、「将来、可能性がある環境破壊」であり、ダイオキシンなどのように、可能性があるため過剰に規制をしたが、その後、危険がないことがわかったことも多い。
 僕らはマスコミやアメリカのプロパガンダを単純に信じ込むのではなく、多様な考えを聞き、自らで考え、行動すべきだ。たとえそれが間違った判断であっても、自然や地球は、私ごときの誤った行動に影響を受けるようなことは全くないことは明らかなのだから。

生物多様性のウソ (小学館101新書)

生物多様性のウソ (小学館101新書)

●もともと「生態系」というものが地球上にあったわけではなく、生物、特に多細胞生物が地球上に誕生して繁栄したので、生態系ができたということになります。・・・固有種がたった110という「ガラパゴス諸島」でさえ生態系は維持されているわけで、・・・生態系を維持するにはさほどの「多様さ」は必要ないと考えられます。(P38)
●「気候変動枠組条約」・・・「生物多様性条約」・・・これらの問題は、「世界的なもの」であるとともに、「すでに起こった公害などと違い、将来、可能性がある環境破壊」という特徴を持っていたのです。(P126)
●経済発展(開発)と自然保護は時に対立的にとらえられますが、現実には「地域格差の固定」という意味を持ちます。・・・DDTマラリアやミンダナオの問題はまさにその例の一つで、自分が犠牲にならない範囲で自分たちは近代的な生活をしたいし、生物は多様な方がよく、自然はそのままであって欲しいというエゴが根底にあります。環境運動家は、それをそのまま思想的に確立して、発展途上国の人々の生活を縛ろうとしているのです。8P173)
●ヨーロッパ流に環境破壊をとらえれば実に簡単で、「環境破壊とは、自然の状態が人間にとって不都合になること」であり、それも「(神ではなく)人間の行動によるものに限定される」ということです。(P248)