とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

期間限定の思想

 2002年に出版された本の文庫化である。単行本時のあとがきに「本書の賞味期限はせいぜい最大限3年」と書かれている。それから9年・・・。
 とは言え、「第1章 街場の現代思想」はレヴィナスの思想を女子学生との対話形式で軽妙に綴ったもので、これは当分、賞味期限切れにはならない。実際、軽妙にしてよくわかる。ただし既にどこかで読んだことがあるような気もするが。
 「第2章 説教値千金」はかなりカビが生えている。瀋陽総領事館北朝鮮難民駆け込み事件と言われても、かすかにそんな事件があったような気がするが、内田氏が何を問題としているのか、今となってはよくわからない。まあ「フェミニズムが歴史的使命を終えるとき」というエッセイは面白かった。
 第3章は自作の解説文、連載エッセイ、ロングインタビュー。それほど面白くない。
 ということで、本書は第1章だけ読めば十分です。でも内田本は読んでいる時間が気持ちいいのであって、内容が問題ではない。そう思いつつ簡単に読み終えてしまった。ああ、もっと読んでいたい。

●私たちは何かに依存しなければ生きてゆけない。これは事実だ。同時に私たちは自己責任において決定を下すべきである。これは理念だ。/事実と理念は矛盾する。/しかし、その矛盾する要請を「折り合わせ」てゆかないと、私たちは生きていけない。/大人というのは矛盾した要請に「同時に」応え、それに「引き裂かれてある」ことを常態とするような存在者のことだ。 (P20)
●私たちは、自分の固有の感覚というものをきちんと断定的な言葉にすることができない。決して、できないのだ。・・・だから、「ほんとうのこと」を言おうとする人間は、結局つねに「断定する人間」に心理的には負けてしまうのだ。・・・人間の社会では、他者に対して政治的に優位に立ちたければ、「断定できないこと」についてさえ断定的に語ることが必要であり、断定的に語るためには、自分の「ほんとうに思っていること」を言おうとしてはならず、誰かが「断定的に言ったこと」を繰り返すしかないのだ。8P52)
●「自分の失業を自分以外の誰かの責任だと思って怒っている人々」、これが政治的な意味での「真の失業者」である。なぜこの人たちの処遇が優先的に配慮されなければならないかというと、このような「真の失業者」が社会成員の一定パーセンテージを超えると、社会は危機的な様相を呈するからである。社会問題というのは、つねに「事実そのもの」ではなく「事実の解釈」の水準で出現するものだ。(P79)
●私たちがある種の尊厳を感じるのは、ほとんど例外なくまっすぐ「自分の存在が不要となるために」生きている人である。/病苦を根絶して、おのれ自身が不要な存在になる日を夢見ている医者。弟子に持てる技術と知識のすべてを伝えて立ち去る師。子どもが誰にも頼らず生きていけるように自立を支援する親。/彼らはひとしくおのれを「消し去る」ためにそこにいる。(P103)