とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日の名残り

 「日の名残り」はカズオ・イシグロの3作目の長編にしてイギリスの最も優れた長編小説に贈られるブッカー賞を受賞した。私とすれば、「わたしを離さないで」、「浮世の画家」に続いて3作目のイシグロ作品だ。
 「わたしを離さないで」は臓器移植の提供者にして介護人という異次元の設定、「浮世の画家」では日本の戦前・戦後を生きる画家の物語、そしてこの「日の名残り」ではイギリスの戦前・戦後を生きた執事が語り手となる。まずはその設定の多様さに驚いた。
 どの作品も主人公がいる保守的な世界と、じわじわと迫り感じる新しい時代や世界との狭間で揺れる主人公の心情を描く点では共通する。この作品では、イギリスの良き時代、紳士とそのお屋敷に仕えた執事が、その雇主が亡くなり、戦後の新しい時代にアメリカ人のモノとなったお屋敷で、雇主に勧められ、旅に出る。その道中の出来事と回想が時間を前後しつつ、語られていく。
 先の雇主は紳士らしいアマチュアリズムで一時イギリスの政治界をリードし、その後、ナチスの政治工作に翻弄され、戦後、不名誉な汚辱と失意のうちに死亡する。時は確実に新しい時代へと変わっていく。旅先で目覚めた農民が民主主義を主張するが、主人公はそれを世迷言と斥ける場面が時代の変化と断絶を示唆する。
 そして旅のもう一つの目的であるかつての女中頭との再開。彼女は当時の恋心を打ち明け、しかし今は夫を愛していると告げる。夕暮れの桟橋で人生を振り返りつつ、自分の過去は無意味ではなかったかと涙を流すが、偶然出会った老人に、過去を振り返らず、未来を見ようと諭される。そして執事は新しい雇主のアメリカ人に合わせてジョークを習得しようと前を見る。
 時の残酷さ。年を重ね衰える人間の悲しみ。戻らない時の流れ。後悔は先に立たず。そして時代は流れていく。その悲しみと人生を噛みしめる。心に沁みいる作品だ。
 ところで最後に丸谷才一の解説が添えられているが、この解釈には全く与しない。老年の恋愛物語にしてしまうのではあまりに浅薄ではないか。心打つ読後感を台無しにしているとさえ言える。まさに蛇足だ。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

●品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。並の執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的なあり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。・・・偉大な執事が偉大であるゆえんは、みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後まで踏みとどまれることでしょう。・・・まさに「品格」の問題なのです。(P61)
●私にはあなたが“プロ”という言葉で何を意味しておられるのか、だいたいの見当はついております。それは、虚偽や権謀術数で自分の言い分を押し通す人のことではありませんか? 世界に善や正義が行き渡るのを見たいという高尚な望みより、自分の貪欲や利権から物事の優先順位を決める人のことではありませんか? もし、それがあなたの言われる“プロ”なら、私はここではっきり、プロ入らない、とお断り申し上げましょう。(P149)
●私どもが世界の大問題を理解できる立場に立つことは、絶対にありえないのです。とすれば、私どもがたどりうる最善の道は、賢く高潔であるとみずからが判断した雇主に全幅の信頼を寄せ、能力のかぎりその雇主に尽くすことではありますまいか。(P290)
●卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意思でお選びになったのです。・・・しかし、私は…それだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の懸命な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょう。(P350)