とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

遺体

 むごたらしい遺体のことが多く書き込まれていると思っていた。グロい光景を想像していた。しかし本書はまったくそうではない。突然2万人もの人々が亡くなり行方不明になった東日本大震災青森県から福島県まで東北地方沿岸部で繰り広げられた津波による被害と遺体の捜索。そして発見された遺体は取り敢えず安置所に置かれ、最後は火葬され、土葬されていった。本書は釜石市に定点を定め、被災者の遺体を関わった人々の姿を漏らすことなく描いていく。
 ボランティアで安置所の世話をした民生委員。地元医師会長として検案にあたった医師。検歯を行った歯科医師盛岡市から検歯に駆け付けた県歯科医会の医師。仮置き場から安置所まで遺体の搬送に従事した市職員。遺体を捜索した消防団員。自衛隊員。消防署員。海上で漂流する遺体を捜索し回収した海上保安部職員。検歯作業を手伝った歯科助手ドライアイスや棺の用意をした葬儀社の社員。安置所等で読経する僧侶。土葬の決断を迫られた市長。秋田県まで火葬遺体の運送をした消防団員。行方不明者の遺骨を預かる僧侶。
 膨大な遺体。数日で腐乱を始める遺体。傷付き原形を留めぬ遺体。それらのことは想像していたが、その遺体を捜索し、移送し、検案し、検歯し、遺族への面会を案内し、慰め、火葬し、遺骨を保管する。無残な姿になり果てた知人を見つけることもあり、それでも感情を殺して黙々と作業に携わる人々。精神的に不安定となって離脱する人々。淡々と事実だけが書き連ねられていくノンフィクションは、それゆえにこそ深く胸に迫ってくる。遺体に向けて毎朝声をかけるボランティアの男性。その言葉に慰められる遺族。そこには私の想像を越えた現実があった。
 あとがきに、復興の声を上げ始めたマスコミを批判する記述がある。既に政府は被災者の悲しみを忘れたように震災を食い物に政争に明け暮れている。だからこそ、多くの人に読んでほしい。まさに今日本人が読むべき必読の震災ノンフィクションだ。

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

●館内のあちらこちらでは頑丈なゴム手袋をはめた警察官たちが、4、5人に分かれて遺体を取り囲んでいる。濡れて重くなった服を1枚ずつ剥いで顔や体の砂を払い落し、身体の特徴を紙の用紙に書き記す。・・・警察官とは別に、白衣を着て手袋をはめた医師の姿もあった。遺体の横にしゃがみ込み、胸を押したり、口のなかをのぞき込んだりしている。運ばれてきた順から検案を行い、遺族に引き渡すために死亡診断書を作成していかなければならないのだろう。他には、市のジャンパーを着た自治体の職員らしき人たちや、消防団の法被を着た者たちの姿もあった。・・・同じ町のたまたま助かった者たちが、次から次へと発見される地元の人たちの遺体を収容するのを手伝っているのだ。(P3)
●「もし自分が犠牲者だったら家族のもとに帰りたいと思うはずだろ。犠牲者だって死にたくて死んだんじゃない。流されたくなかったし、瓦礫に押しつぶされたくもなかったはずだ。だからこそ、彼らが家族のもとに帰る手伝いをしてあげたい。少なくとも、僕はそのことにやりがいを感じている」/松岡はどれだけむごたらしい姿であっても、見つかった遺体に対しては「よかったな。これで家族のもとに帰れるぞ」と語りかけた。(P119)
●母親は死んだ赤ん坊の前にしゃがみ込み、その冷たくなった頬をなでながら、「ごめんね、ごめんね」と何度も謝っていた。夫も目を赤くしてうなだれていた。・・・千葉はいたたまれなくなり、そっと夫婦のもとへ歩み寄った。隣にしゃがみ込んで手を合わせ、やさしい声で遺体に向かってこう言う。/「ママは相太君のことを必死で守ろうとしたんだよ。自分を犠牲にしてでも助けたいと思っていたんだけど、どうしてもダメだった……相太君はいい子だからわかるよな」/夫婦は真剣な顔で聞いている。千葉はさらに言った。/「相太君は、こんなやさしいママに恵まれてよかったな。短い間だったけど会えて嬉しかったろ。また生まれ変わって会いにくるんだぞ」/母親はそれを聞いた途端、口もとを押さえて泣きはじめた。子供のように声を上げて号泣する。夫も鼻水をすすりながら目をぎゅっと閉じる。千葉はそれを見ながら、どうか自分を責めずに生きてほしいと思った。(P187)
●身元不明者の遺族、近所に暮らす被災者、ボランティアのスタッフ、いろんな人たちがここで、身元不明の遺骨にご焼香をあげてくれているんだ。毎日かならず何人かが手を合わせている」/これまで釜石で暮らす人々が故郷を愛し、隣人を肉親のように思い、過疎化した小さな町で支え合って暮らしてきたことを思い出した。(P258)
●震災後間もなく、メディアは申し合わせたかのように一斉に「復興」の狼煙を上げはじめた。だが、現地にいる身としては、被災者にいる人々がこの数え切れないほどの死を認め、血肉化する覚悟を決めない限りそれはありえないと思っていた。復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。(P262)