とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

1Q84 BOOK1(4月〜6月)

 「1Q84」がようやく文庫本となって刊行された。まずはBOOK1。これまでじっと単行本を読まずに我慢してきた甲斐があった。一時は文庫版は発行しないのかと心配していた。よかった。
 「青豆」と「天吾」というのは、何かの記号かと思っていた。二つの異なる物語が交互に進んでいく形式は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と同じ。だが、前書の方が二つの物語を隔てる壁は大きい。微妙に影響しあうが、最後まで別の物語として読むことができた。本書は違う。同じ時期に別の場所、別の主人公により同時並行で進んでいく物語。だが、リトル・ピープルや「さきがけ」、月が二つある世界など、共通する事柄が現れ、二つの物語は次第に近付いてくる。何より、青豆が生涯愛し続け、偶然の出会いを期待する男性は、天吾なのだ。
 BOOK1でそれなりに完結しているのかと思ったが、それも違った。読みながら意外に面白くないと思った。同じ長編でも「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」の方がもっと濃密に物語が進行する。なんて思っていたら、BOOK1はまだ導入編。ようやく1/3が終わったところだ。これから、「さきがけ」と「ふかえり」や「つばさちゃん」はどうなるのか。残虐なリトル・ピープルたちは何をしでかすのか。いよいよ物語が動き始めたところでBOOK1が終わる。うーん、早くBOOK2が読みたい。
 単行本はBOOK1、BOOK2同時刊行だったけど、文庫版は1ヶ月の待ちぼうけ。大丈夫、上等な料理はゆっくり味わいたいから。あと少しの我慢。

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

●言うなればこれから普通ではないことをなさるわけです。・・・で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。(前P26)
●どこかに必ず最後はあるものだよ。『ここが最後です』っていちいち書かれていないだけだ。・・・青豆は言った。「常識を働かせ、しっかり目を開けてさえいれば、どこが最後かは自ずと明らかになる」タマルは肯いた。「もしわからなくても―」、彼は指で落下する仕草をした。「いずれにせよ、そこが最後だ」(前P204)
●青豆は言った。「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。・・・自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」(後P95)
●世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ(後P324)
●だいじなものはもりのなかにありもりにはリトル・ピープルがいる。リトル・ピープルからガイをうけないでいるのはリトル・ピープルのもたないものをみつけなくてはならない。そうすればもりをあんぜんにぬけることができる。(後P339)