とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

移行期的乱世の思考

 「小商いのすすめ」の平川克美インターネットラジオ「ラジオデイズ」で放送したインタビューを本にしたもの。インタビュアーは新求仁子。もっとも質問に答えるというのではなく、勝手に平川克美が話し、新はただあいづちを打っているという感じ。
 全部で四話。第一話は「行き詰った民主主義」。「お金がすべて」の経済至上主義を批判し、「経済成長をしなければいけない」という論理を捨てることを提言する。そして震災で壊滅した「死の町」にこそ、新しい時代をリードする町が生まれてくるのではないかと希望を述べる。
 第二話は「『解き難い問題を解く』ということ」。ここでは二項対立形式の問いの立て方を批判する。原発存続か廃止か。消費税賛成か反対か、など。わかりやすい問いは複雑な物事を敢えて縮減し、間違った解決に導くと指摘。「文学的なものの考え方」「次数を繰り上げ、直感を大事にすること」などを提唱する。
 第三話は「欲望とは」。ここでは、マズローの「欲求五段階説」を取り上げ、前3段階の「繰り返すだけの欲求」と後ろ2段階の「拡大再生産を続ける欲望」とに分けて、後者をいかにコントロールするかを述べる。現代は後者の心的欲望が世界に蔓延し、そして行き止まりに来ている。
 第四話「なぜ『経済成長』にこだわるのか」は、以上の話を受けて、人口減少時代の経済や政治を語る。筆者が提言するのは、江戸時代のような「定常状態」であり「保護貿易」「新しい鎖国」である。もっとも江戸時代に戻れというのではなく、室町・安土桃山時代から江戸時代が生まれたように、現代の後に続く新しい「定常時代」。その移行に伴う混乱を「移行期的乱世」と呼ぶ。人々の考え方を変えるのは容易ではないけれど、それでも最後にこう言う。
 「まあ、なんとかなりますよ。力ずくで何か変なことをしなければね。」たぶん、僕もそう思う。あの拝金時代は何だったのだろうと振り返る時代が必ずやってくる。そこまでの痛みが少ないことを願いたい。

移行期的乱世の思考

移行期的乱世の思考

●今や、民主主義が強いリーダーを求めている。非常に歴史のパラドックスを感じますね。/そもそも、「強いリーダー、速い決断」とは何でしょうか? これは、民主主義の否定なんです。民主主義は決断が遅いんですよ。手続きですから。それから、強いリーダーがいなくてもやっていけるシステムだったわけですね。民主主義がそれを否定し始めた。(P25)
●「あの直感が正しかった」と、あとで考えてみたら、そう思うことがありませんか。・・・倫理というもの自体が、実は縮減モデルなんです。現実にあることを、ある必要な数値だけ、あるいは必要なロジックだけを整合的につなぎ合わせたのが論理ですから。整合的な論理の前に、整合的でない現実がある。だから、論理の前に、まず、直感がある。論理は常に後付けです。(P140)
●会社は縮減モデルです。しかし、その縮減モデルの中で働いている人々は、全人的な人間。それが同時に存在している。同時に進行しているわけです。それを、どのように自分の中で整理をつけるのか。・・・折り合いですね。しばしば人は、折り合いをつけるのではなく、どちらかに同化しようとしてしまう。(P159)
●縮減モデルは物事の単純化であり、限定的な解決を探るには便利ですが、それで全体的な、あるいは時間的な問題を扱うことはできない。そうではなく、全部を包摂した実体に近いようなものとして全体を捉えなくてはならない場合がある。全体の問題を分解したり縮減するのではなく、一つ上の次元から俯瞰するような立場に立ってみなければわからないことがある。そういう知性を獲得できるのか、どうなのかということだと思います。(P199)
●外からの影響を受けないように経済を回していく工夫をしていく必要があるのではないかと思います。そのためにどの方向に向かうべきかというと、保護貿易しかありませんね。新しいかたちの保護貿易を模索すべきです。(P244)