とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

問題は、躁なんです

 昨年の秋、「ある日突然、躁状態がやってきた(その1)」からのシリーズで書いたとおり、抑うつ状態の揺り戻しで軽躁状態となった。メンタルヘルス相談で精神科医の方に、「躁病ということはないのでしょうか」と聞いたが、「それはない」と言われた。だが、それがただ安心させるための言葉だったのか、躁病とは全く異なる病状を示すものなのかわからなかった。まあ、その後同様の状態にはなっていないから躁病ということはないだろうが、興味もあって躁病についての本を図書館で探したが、ほとんど見当たらない。と、書店で本書を見かけた。
 筆者の春日武彦は、内田樹との共著「健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)もあったが、読んでいないし、読む気もしない。いや、本書が面白ければこちらも読んでもいいかなと思ったが、正直わかりにくく読みにくかった。
 6章構成になっているが、第1章で躁病や躁状態に対する基本的な認識を述べた後、具体の症例や躁に起因すると見られる事例などを紹介していく。奇人・変人。小説などに描かれる躁病患者。事件の犯人としての躁状態。数奇な運命をたどる躁的人間と老人性躁状態。第6章で医学的な知見が紹介されているが、全体的にエッセイ風につらつらと書き連ねる形式で書かれているため、内容が行ったり来たりしているように感じられてわかりにくい。そうやって全体像がわかればいいのかな。
 『いささか長過ぎる「あとがき」』の末尾には、「精神科医の何割かは、自分こそが精神に異常があるのではないかと疑い、懸念している」とあるが、私自身も日常的に軽度の躁状態のような気がしないでもない。それでもそれほど他人に迷惑をかけずに生きているつもりだが、妻に言わせればトンデモナイと言われるかもしれない。うつ状態よりは軽い躁状態の方がいいように思うが、人間、基本はうつだそうだ。少なくとも躁病ではないようなので安心した。

問題は、躁なんです   正常と異常のあいだ (光文社新書)

問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書)

●昔から「葬式躁病」という言葉があって、これは本来葬式とは悲しく悲痛なことであるはずなのに、その喪失感や悲哀感がかえって本人を躁状態へと駆り立ててしまうケースを指す。・・・おそらく本人の性格や生き方次第で、本人なりの生き残り作戦(つまり耐え難い精神状態をいかに乗り切るか)が自然に選択されてくるのである。(P19)
●躁病は脳内の生化学的な異常を背景としており、原則として薬剤での治療が可能である。だが性格的なものとしての躁傾向は、生化学云々というよりも精神構造の問題である。論点が異なる。ただし結果的にある種の精神構造と躁病とが似た状態を呈するのは事実であり、・・・奇人と病人とは、似て非なる存在なのである。(P56)
●本来的に人の心は「うつ」に親和性が高く作られている気がする。われわれは些細なことに悩みの種を見つけ出しては、不安と「うつ」とに悩まされるように運命づけられている。だからこそ、躁の人は奇妙に映る。・・・不快なことや苦しいことばかりで世の中は充ちあふれているというのに、いったいどのような心性が躁を引き起こすというのか。(P81)
●うつの底が抜けて躁へと突入し、その結果、理解し難い振る舞いに及ぶといったパターンは存外に世間に多く転がっているように思われるのである。・・・躁は不安と絶望とに裏打ちされているのである。(P88)
●おそらく人間は、ほぼ完璧なうつにはなれるにもかかわらず、自分の心を躁のみで塗り上げ誇大妄想にどっぷり浸かり切ることは困難なような気がしてならない。そういった意味でもうつと躁とは対称をなさない。うつが自然で躁が不自然、これが人の心の基本的な構図であるように思われる。(P145)