とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

徘徊老人の時代

 先日、妻が友人と待ち合わせて路上に立っていたところ、高齢者の運転する軽自動車が停まり、道を聞かれた。「頭がおかしくなってしまって、自分の家がわからなくなった。320号棟はどこかわかるか」。
 中層住棟が連なるニュータウンは、歩車分離や一方通行が多く、住棟の姿が見えてもどうやってたどりついたらいいのかわからないことがままある。320号棟もそうした住棟の一つで、かなり大回りしなければたどり着けない。
 「反対方向ですよ」と言うと、軽自動車を先の交差点でUターンさせ、もう一度妻の前を通って、今度は一方通行の道路を逆走していく。しばらくすると正規に走る車に押され、バックしてくる。それを何度も繰り返していたそうだ。
 たまりかねて、到着した友人ともども声をかけ、友人の車が先導して道を案内することにした。ところが今度は行き先が変わっている。「120号棟に行きたい」。それで120号棟まで案内すると、お礼もなく駐車場に向かっていったとのこと。自分の家がわかってよかったというべきか。
 出歩いて帰ってこない徘徊老人の話は聞くが、車で徘徊する老人の話は初めて聞いた。確かにそういうケースもあるだろう。よく新聞で見る「自動車専用道を逆走する高齢者」などもこの類かもしれない。
 聞きながら父のことを思った。父は80歳を超えて一人暮らし。だが元気で今も県内はおろか遠方までも平気で車を走らせる。多くは写真仲間を同行しての運転なので大丈夫だと思うが、妻の話と父の将来の姿がダブって聞こえた。
 これから団塊の世代が後期高齢期に突入していく。これまでは年金で裕福な高齢者をターゲットにした消費戦略などとまあお気楽に捉えられる面もあったが、今後は次第に徘徊老人、暴走老人が跋扈する時代になってくる可能性がある。まさにお荷物高齢者の増加。高齢化時代の負の側面を垣間見た気がした。