とんま天狗は雲の上

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失われた場を探して

 「リスクに背を向ける日本人」山岸俊男と共著したアメリカの社会学者メアリー・C・ブラントンの著作である。
 日本の非進学高の学生の就職状況に関する様々な関係者へのインタビューや調査を通じ、80年代まで日本で機能していた「学校」から「職場」へ学生を引き渡し、育てながら社会人にしていくシステムが、90年代を経て劣化してしまったことを明らかにする。
 その原因として、経済のグローバル化に伴い、製造業からサービス業へと日本の経済構造が変化したこと、これに伴う経済不況により、正社員よりも期限付きの非正規社員の割合を増やしていったことなど挙げられている。この結果、学校から仕事への移行システムという日本の「制度的な社会関係資本」が大幅に弱体化した。
 こうした「制度的な社会資本」がないアメリカでは、家族のように親密な間柄ではない知人たちとのつながり「ウィークタイズ」を頼って、職を探すことが普通で、そのためのノウハウや能力、すなわち「人的な社会資本」を主体的に開発する社会的文化風土がある。
 日本においても、かつてのような「制度的な社会資本」の復活が見込めない以上、「人的な社会資本」を開発していく教育や社会の仕組みが必要である。また、厳しい就職環境を経験したロストジェネレーション世代には既にこうした能力を身につけている人も多く、日本の社会と企業は、彼らをうまく活用していくことが必要だ。
 概ね以上のようなことを主張している。最近友人から聞いた話では、今や理系の大学院生ですら、教授の推薦や紹介が就職を保障するものではなくなっていると言う。国立大の先生にも「就職活動で僕らにできることは、今や何もないですよ」と言われた。
 本書が語る「制度的な社会資本関係の弱体化」は既に大学生・大学院生にまで及び、日本社会全体を覆っているようだ。「人的な社会資本」の開発の方ははどこまで進んでいるだろうか。それを学生の個人的な努力に委ねているだけでいいのか。社会的なフォローと企業が責任を果たすことが必要だと著者は訴えている。日本社会の再生のためにも、日本を愛する外国人の進言に素直に耳を傾けるべきではないだろうか。

失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学

失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学

●日本社会には、若者の人的資本開発で親や学校、企業などが「利害関係者」として大きな役割を担う制度上の仕組みが存在し、その制度上の仕組みが人と人との相互依存関係を強力に支えてきた。その結果、・・・大人になってからも、人的資本の開発やキャリアの道筋についての個人の主体的な決定はあまり重視されてこなかった。/近年の日本では、社会の環境が劇的に変化し、・・・若い世代は。さまざまな組織や「場」の間をこれまでより主体的に移動しながら生きていくためのスキルと振る舞い方を身につけなくてはならなくなった。自分の人的資本に自分で投資して、その成果を携えて「場」を移っていくことが求められるようになりつつあるのだ。(P98)
●日本の社会と企業は、若者の人的資本を養い、それをうまく活用する方法を見出さなくてはならない。ロストジェネレーションの多くは、学校を卒業した後にさまざまな方法で職探しをする経験を経て、以前より社会的に成熟し、責任感も強まっている。・・・こうした若者たちは、日本の失敗の証ではない。日本の希望の光なのだ。(P210)