とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

予想どおりに不合理

 私が愛読している「高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会」に掲載されていたので興味を持って読んでみた。ちなみに昨年10月に増補版が発行されているが、私の読んだのは初刊の2008年発行のもの。行動経済学の入門編としてベストセラーになったそうだが、確かに面白い。先のブログに本書で挙げられている様々な実験事例のいくつかが紹介されている。
 私が特に興味を持ったのは、社会規範に関する事例と、ステレオタイプの影響。前者は、報酬をもらわずに行う行動は、報酬を得て行う行動よりもはるかに多くのことを達成するというもの。それをうまく活用してきたのが日本の企業で、企業への忠誠心を高めることで社会規範によるオーバーアチーブを起動している。ただし、社会規範に基づいた行動も、いったん市場規範に置き換えると、社会規範には戻ってくれない。金の味を知るとボランティアで動く気がしなくなる、というのはよくわかる。
 ステレオタイプについては、理数系に強いアジア系アメリカ人。数学が不得手な女性。では女性のアジア系アメリカ人はどうなの、ということで実験。女性を意識させられたアジア系アメリカ人は数学の成績が下がり、アジア系を意識された女性は数学の成績が上がった。なんと自分で自分をステレオタイプ化してしまうのだ。暗示の威力というべきか。
 その他にも興味深い実験が満載。あっという間に読んでしまった。

●給料の多さと幸福感とのあいだに、わたしたちが思っているほど強い関連がない(というより、むしろ弱い)ことは、これまで繰り返し立証されている。・・・それなのに、わたしたちは、より高い給料を求めてやまない。そのほとんどはたんなる嫉妬のせいだ。(P44)
●答えは、・・・社会規範がわたしたちの評価をはるかに超える大きな役割を社会に対して果たせるのだと心にとめておくことだと思う。ここ数十年のあいだに市場規範が・・・わたしたちの生活を少しずつ支配しはじめていることを考えれば、ある程度なら昔の社会規範にもどってもそれほど悪くなさそうだという気になるかもしれない。(P130)
●所有意識は物質的なものにかぎったことではない。ものの見方にもあてはまる。政治に関することであれスポーツに関することであれ、なんらかの思想の所有権を得たら、わたしたちはどうするだろう。おそらく、大事にしすぎるほど後生大事にし、ほんとうの価値以上に高く評価するだろう。もっともありがちなのは、その思想を失うことに耐えきれず、なかなか手放せなくなることだ。その結果、残るものは何か。かたくなで柔軟性のないイデオロギーだ。(P190)
●お金とはなんと奇妙なものではないか。現金がからむと、わたしたちは倫理規定に署名でもしたかのように、自分の行動について考えようという心持ちになる。・・・これに対して、現金を使わない取引はなんと自由なのだろう。かならず都合のいい正当化が見つかる。・・・現金を使わない取引では、自分を不正直な人間だと思うことなく、不正直になれる。良心がぐっすり眠っているとおぼしきうちに、盗みを働くことができるのだ。(P302)
●この本で紹介した研究からひとつ重要な教訓を引きだすとしたら、わたしたちはみんな、自分がなんの力で動かされているかほとんどわかっていないゲームの駒である、ということだろう。わたしたちはたいてい、自分が舵を握っていて、自分がくだす決断も自分が進む人生の進路も、最終的に自分でコントロールしていると考える。しかし、悲しいかな、こう感じるのは現実というより願望―自分をどんな人間だと思いたいか―によるところが大きい。(P320)