とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

原発難民

 先日、宮城県被災地と仮設住宅団地などを巡ってきた。被災した土地も急ピッチで造成等が進められ、既に新しい建物が再建され始めている。もちろん防災集団移転事業により却って復旧が遅らされ、未だ水に浸たり、また土埃が舞い上がる地区もあるが、がれきは着実に減少してきている。
 しかし福島は違う。未だに原発事故を起こした周辺の地域には立入りさえ自由にできず、まさに「死の町」になっている。また、事故のため避難した人の中には、避難命令が解除されてもなお高い放射線量を警戒して避難を続ける人たちも多く、地域の分裂と相互不信を引き起こしている。こうした原発事故で避難を余儀なくされた人々を「原発難民」と呼び、彼らの生活や思い、また差別される実態などを取材するとともに、未だ立ち入ることが許されない警戒区域やその周辺地域の現状を取材したルポルタージュだ。
 筆者が言うとおり、福島原発事故は、原発事故の発生原因と住民避難の不備・失敗の二つのフェーズから成り立っている。筆者が特に問題にするのは、後者がまったくなおざりにされた事実だ。そして事故が起きてなお、住民避難のための対策は疎かにされたまま、原発の再稼働や、新政権では原発の新設すら口にする政治家がいる。まったく腹立たしい限りだ。
 それにしても、警戒区域内の現状には息をのむ。そこはまさに「死の町」だ。日本は確実に福島原発事故で数百km2の領土を失った。そして今もこの地域に住んでいた十万人と越える人々が原発難民として不安な日々を過ごしている。政府や東電はそんな彼らのことを既に忘れてしまっているようだ。だが我々は彼らのことをけっして忘れまい。我々は偶然で左右されただけの「フクシマの民」の一員なのだから。

原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか (PHP新書)

原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか (PHP新書)

デイケアセンターには、キャットフードの空袋とウシの糞。向こう側の病院には、老人用オムツ、錆びて泥だらけになったベッド、車椅子。だれもいなくなった町に、そんなものが散乱している。・・・これは、「終末」の光景だ。・・・福島第一原発から直径40キロの内側は、どこも荒れた真空地帯となっていた。(P74)
南相馬市の人たちの話を聞いてみると、沖縄や関西など遠方に避難した人もいる。勤務先の企業が新潟で旅館を借りきったので、「毎日、温泉に入って負担ゼロだった」という話も聞く。まったくふだんどおりだった地域や、強制避難となった立入禁止ゾーンと違って、この中間地帯がいちばんひどい格差を生んだ。・・・災害避難において、困難か快適かの差は、結局、経済力=お金の差だった。(P89)
●深刻なのは、政府や東京電力が「マンに一つも起きない」といいつづけた原発事故が、目の前で起きたという事実だ。くりかえすが、これが、住民に根強い不信感と懐疑を植えつけた。政府や地方行政、電力会社といった「権威」のいうことを、住民たちはことごとく疑っている。・・・3.11までは疑われることなく信用されていた「権威」が、ことごとく疑われる「逆権威」に転落したのだ。・・・サイエンスとしていくら正しいことをいっても、それは親たちの行動基準にならないのだ。
福島第一原発の本質は、マニュアルにこだわりすぎたため、現実を見落とし、被害が拡大したのではなく、「あらかじめ手順が決めてあったことすら守れなかった」あるいは「マニュアルに書いてあったことすら忘れていた」に近い。二重、三重、あるいはそれよりひどい多重失態といえるのではないか。・・・つまり、地震津波によって原発が全電源を失う事態に陥るまでは「天災」だったが、原発事故が発生したあと、住民が被爆しないように避難させることに失敗したという部分に関しては「人災」である。(P215)