とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

退職する先輩の思い出

 また年度末が近付いてきた。今年退職する方たちは私より4歳上。中でもYさんとWさんには公私ともに大変お世話になった。4歳違いというのは近すぎず離れ過ぎず、ちょうどよい年の差なのだろう。
 Yさんとは私が入社して3年目に同じ職場で背中合わせに座ったのが始まりだ。当時、私が義父からもらったポケットパソコン(たぶんシャープPC-1211)でアメフトゲームを作成。休み時間に二人で楽しんだ。
 ちなみにこのゲームは今でも傑作だと思っているので、思い出ついでに説明しておこう。ゲームの遊び方はこうだ。本来のアメフト同様、攻撃側と守備側に分かれ、攻撃側はパス、ラン又はキックを選択する。パスの場合は距離も入力。守備側も相手の攻撃の種類を予測して入力し、RUNキーを押すと、乱数関数を使ったプログラムが実行され、CONPLETE又はINCONPLETEが表示されるとともに到達距離が表示される。これを4回繰り返し、10ヤードに到達しなければ攻撃権が移るのも本来のゲームのとおりだ。
 ただ残念なのは液晶画面に1行しか表示できないので、ピッチのどこで攻防が行われているかや得点経過などはそのたびに手元のメモに転記した。基本的にプログラミングは私がやり、メモ上の表現をYさんが工夫した。乱数関数の利用はYさんのアイデアで、二人で完成させたゲームだと思っている。残念ながら二人が別の職場に離れた翌年から一緒にこのゲームで遊んでくれる人がいなくなった。
 その後、Yさんが結婚すると、私から3歳先輩になるMさん家族も一緒にキャンプや旅行に出かけるようになる。これはMさんが離婚するまで続いた。
 次にYさんと一緒の職場になったのは私が35歳頃のことだ。この時は同じグループ内でYさんはスタッフとして特命の仕事を担当。私はラインの一人として通常業務をしていたが、Yさんの仕事にアイデアを提供することもあったし、私の愚痴を聞いてもらうこともあった。だがそれ以上に深かったのはやはりパソコンでの仲だ。
 Yさんが持っていたのを見て私も当時流行のNEC製PC-9801NS/Tを購入。YさんにNiftyを教えてもらいパソコン通信にはまる。私はfcityやfsoccerを楽しんでいたが、Yさんはパソコン自体に興味があり、私のデジタル・リテラシーはYさんから学んだ。また初めてのデスクトップパソコンの購入もYさんに付いていってもらった。
 その後Yさんは眼を悪くしたこともあり若干昇進が遅れるが、同格のポストでお互い情報交換をしては補い合った。呑み会の後には必ず一緒に喫茶店で一服して帰る。Yさんを中心にパソコン好きメンバーのオフ会なども開かれた。家族ぐるみの付き合いという意味でも、公私のうち「私」の部分で大いに影響を受けた先輩である。
 一方、Wさんは私の2番目の職場で先輩だった。高卒で入社後、夜間大学に通った努力家で人間味あふれる人だ。当時の職場にはみんなから嫌われたHさんという上司がいたが、なぜか私とWさんだけはHさんに好かれて、よく喫茶店や呑み会に連れていってもらった。だがこの時は面倒見のいい先輩という印象しかなかった。
 Wさんとの仲がグッと深まるのは初めて私がグループ長になった5年前からだ。なんとWさんが私の部下になった。どうしようかと思ったが、気さくなWさんは上手に接してくれ、初めてのポストに気負いがちな私をしっかりサポートしてくれた。仕事の効率という点では(申し訳ないが)私の方が上だと思うが、Wさんの長所はそういうところにはない。職場の内外問わず、うまく人間関係を作り、スムーズに仕事が流れていく。Wさんに倣って私も昼のウォーキングを始めた。
 翌年、昇進とともに配属替えとなったWさんはそこでクレーマーに悩まされる。加えて部下が途中退社する事態にもなり、精神的にかなり追い詰められた。メンタル・クリニックにも通ったと言う。ウォーキング中に話を聞いたことがWさんにとってどれほどの意味があったかどうかはわからないが、その経験は2年後に私には恩恵となって帰ってきた。
 今度は私が精神的に追い詰められ、一時は退社も考えた状況の中で、毎日ウォーキング中に私の愚痴を聞いてもらった。Wさんに話すと肩の荷が下り、気持ちがスッとする。何とか危機を乗り越え、お互い過去の話として笑いあえるようになった。今年度になってからも、職場のトラブルと対応方法など、お互い披露してはアドバイスをもらいあう。Wさんがいて何とかここまで働き続けることができた。本当にそう感じる。
 YさんとWさん。二人がいなくなる4月からはいったい私はどうなるのだろうか。もちろん他にも私のことを信頼してくれる先輩(ああ、彼ももう1年で退職だ)や慕ってくれる後輩(彼は4月から子会社出向という噂だ)もいる。同年輩の友人に愚痴をこぼしたり、聞いたりもしている。だが、やはりYさんやWさんほどには心を開いて話すことができない。4年という年の差はお互い昇進で競うこともなく、ちょうどいい年の離れ具合だった。
 これからは二人にもらった財産を心の糧に、残り少ない職場人生を生きていくのだろう。それがどんな日々か想像もつかないが、いや何、二人とも消えていなくなるわけではなく、携帯番号も知っているし、再就職先もそんなに遠いわけではない。何かがあればきっと支えてくれる。話を聞いてもらえる。Yさん、Wさん、本当にありがとう。そしてこれからも引き続きおつきあいしましょう。よろしくお願いします。