とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

本当の大人の作法

 対談本は嫌いだって、これまで何度も書いてきたのに、また借りてしまった。しまった。雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載されていたものを加筆修正したもの。よって、だらだらと論点が揺れて、動いて、うにゃむにゃと消えていく。まあでも、それはそれでよくわかるというか、なんとなくわかったような気になるというか。
 話題は、人生と物語、空間と豊かさ、揚げ足取りの意味、五・七・五の極意、老い方、知性の獲得方法、中立性の持つ問題、バッシングの真意、定型圧力とは、執着よりも物語、愛よりも敬意。以上12章にわたってダラダラと。
 ところで、橋口いくよって誰?と思って検索したら、「えーっ、もっとおばさんかと思ったら美人!」。で、これがどうして「大人の作法」なんだ。まあ、タイトルも何でもよかったんだろうな。橋口いくよが本当のおじさまに聞く「本当の大人の作法」という程度の意味。こりゃ、内田樹名越康文が持ち上げるわけだ。
 でも、内田樹の対談本って結局、内田樹が語る言葉をみんなしてよいしょして、ぐるぐると担ぎ回して、それで終わるんだよね。そういう意味ではこれもあまり中身のない・・・。

●空間を作るのは人間で、人間は触媒じゃないですか。なのにもう我が我がとなって、自我が大きくなって、人間がその空間になりかわろうとした。そうじゃなくて、私たち一人一人がその空間を豊かにする触媒になる。そっちに戻ると、その触媒になったとたんに自分が一番豊かなものを感じとれる(P036)
俵万智さんの『サラダ記念日』に「万智ちゃんを 先生と呼ぶ 子らがいて 神奈川県立 橋本高校」っていう名歌があるじゃないですか。あれを見て、ある時に気がついたんだけど、五・七・五でたいしたもんだなと思ったものがあるの。1948年にできたある政治団体があって、いまだに廃れていない。「全日本学生自治会総連合」っていうの。(P066)
●自分が中立的であるっていうことを前提にすると、必ず自分の知っていることを過大評価し、自分の知らないことを過小評価するようになる。・・・だから、ほんとうに広々とものを見ようとしたら、中立的な視点を僭称すべきじゃないんだよ。私の視点は変です。歪んでいます。バイアスがかかっていますって。・・・きちんとカミングアウトしておかないと。(P117)