とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

人口減少社会という希望

 1年ほど前に広井良典氏の講演を聞いた。本書のあとがきに書いているが、「グローバル定常型社会」「コミュニティを問いなおす」「創造的福祉社会」の3冊を一つのまとめとして考えていたようだ。これらを読むと筆者の関心が、人類史の中に現在という時代を置いて、第3期の定常型社会の始まりとみて、新しい時代のあり方を考えるという点に次第に重点を移していっていることがわかる。
 本書も第1部「人口減少社会とコミュニティ経済」は、人口減少時代という現実に即して、GNH(国民総幸福度)やローカル・コミュニティ経済の展望、鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想、福祉政策と都市政策の融合、「福祉―環境―経済」を包含した「緑の福祉国家」などを語る。これらは昨年の講演会で話された内容に近い。
 一方、第2部「地球倫理のために」では、「グローバル定常型社会」「創造的福祉社会」の後半で書いていたより哲学的な内容が深められている。「古事記」の死生観がアジアや世界に通じていること。「成長のための科学」からの転換。「地球倫理」の可能性と論考を深め、最終節では、宇宙論や生命論を踏まえ、「自己形成的な自然」へと進んでいく。
 その展開は非常に刺激的だし面白い。かつわかりやすい。人口減少社会が希望に満ちているというのは、明日・明後日のことではなく数百年単位での新たな時代の出発点という意味合いだが、兆しを希望としてとらえることは、不安な面持ちで待ち構えるよりも精神的にいいし、たぶん正しい。それにしてもこの人はいったい今後どんな方向に向かっていくのか。広井氏ならではのさらなる考察の深化と現在社会へのフィードバックを期待したい。

●日本では必ずしも十分認知されていないが、戦後のドイツが基本に掲げたのが「社会的市場経済(ソーシャルな市場経済)」、つまり自由放任的な市場経済ではなく、それを様々な社会的ないし公共的な規則や再分配で調整するという社会システムだった。/異なる分野を総合的に結びつけてとらえ、かつ根底にある人と人との関係性や社会システムのあり方を視野に入れながら、成熟社会の豊かさに向けた様々な政策や社会の構想を議論していくことが今こそ大切と思われる。(P149)
●近代科学の特質は、究極的には、(1)人間―自然の切断と自然支配・制御、(2)帰納的な合理性ないし要素還元主義という二つの点に集約されるものであるだろう。・・・「経済成長のための科学」というあり方を根本から問うていくことは、こうした近代科学の性格そのものを考え直していくことになるのではないか。議論を急げば、私自身としては、そうした科学の方向として、上記の(1)(2)のような方向とは逆のベクトル―「ケア」という概念で表現されてきた方向―を包含・統合するような「ケアとしての科学」とも呼ぶべき科学の姿が構想されていくべきではないかと考えている。(P186)
●死亡場所について今後病院から在宅、福祉施設等へのシフトが着実に進んでいくことが予想されるだろう。つまり人が亡くなる場所について高度成長期と逆の現象が進んでいくのである。・・・「地域への着陸」の時代たる人口減少社会とは、「死」や老いや病いといったものを、もう一度ゆるやかに地域コミュニティの中へ戻していく時代であるとも言えるのである。(P217)
●個々の普遍宗教の根底にある次元(=自然信仰ないし自然のスピリチュアリティ)を再発見・再評価していくことが、個々の普遍宗教を超えた「地球的公共性/地球的スピリチュアリティ」につながる・・・しかも・・・近代を経た後の時代に生成する地球倫理は「個人」という存在を軸に置きつつ、かつそれを超えていくという志向をもつので、それは私や他者を含む一人ひとりの根底に、自然のスピリチュアリティ―生命の内発性あるいは存在そのものと言ってよいもの―を見出していく思想となる。(P246)
●生命や人間はいずれも「開放定常系」としての性格をもっているが、その根底的な基盤に「開放定常系としての地球」の存在がある・・・もう一つ重要な点は、これらの全体を貫く「自己形成的な自然」とも言うべき自然観ないし生命観だ。すなわち、以上の「宇宙―地球―生命―人間」をめぐる構造の全体を貫いているのは、宇宙の生成以降における「自己組織化=混沌からの秩序形成=自然の内発性ないし創発性」という、一貫したベクトルと言えるだろう。(P256)