とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

場末の文体論

 「日経ビジネスオンライン」の連載コラム13編を転載したもの。ほとんどが昨年(2012年)に掲載されたもので、ほとんどは私もネットに掲載当時、目を通した記憶がある。中でも懐古的なものを多く集めたという。北杜生、立川談志への追悼、アグネス・ラムやソニーへの思慕、田中真紀子の新設大学不認可騒動。官邸前デモ、週刊朝日のハシシタ記事問題、大阪体罰事件、昨年末の総選挙など、時事的な内容のものも多い。亡くなった親友や昭和を生きた父親へ思いを馳せたコラムなどは、同年代の私にはじっくり心に沁み入る。
 私と小田嶋隆とは全く同学年である。50年を超える年月、世間なるものを見て、渦中に生き、感じてきた経験は、単に同じ時期を過ごしたというに留まらず、全く共感するところが多い。同じ出来事でも学年のわずか1年の違いで異なる体験、感覚として捉えており、意外にその差は大きい。
 大阪万博を中学生で経験したか、小学生だったか。浅間山事件時に中学生か、高校生か。メキシコ五輪に至っては小学6年生で経験したからこそ私は中学生でサッカー部に入部したのであり、筆者のサッカー好きもやはり小6で銅メダル獲得という経験が要因ではなかったか。筆者の父親は立川談志、私の父は村田英雄と多少の差はあるが、気分はよくわかる。同じ無学で零細企業経営者の父親の心境と息子の思いも全く共感する。
 もちろん叩き込むような独白のウィットなど小田嶋隆ならではの文章力はさすがだが、それ以上の明石家さんまや桑田圭祐、郷ひろみらに1年遅れて常に上を見てきた学年の代表として期待している。生産的かどうか知らないが、これからもそのぼやきを読み続けていくだろう。共感の思いを込めて。

場末の文体論

場末の文体論

●昭和の庶民にとって、テレビは魔法みたいな機械だった。落語と洋画劇場とプロ野球のナイター―結局、父が生涯を通じて愛着を傾けたものは、ほとんどすべてブラウン管の中にあった。/父の世代の昭和の男は、テレビを買うために働き、テレビを見ることで一日を終え、テレビを見ながら死んでいった。(P22)
●秘書を雇う甲斐性の無いコラムニストは、自分のアタマの中に既にある以上の原稿を書くべきではない。ウィキペディアの力を借りると、一見、幅の広いテキストを書くことができる。でも、間口を広げると奥行きが寸足らずになる。グローバル化というのはそういうことだ。玄関だけの家。入口がそのまま裏口になっている。住む場所などあろうはずもない。(P23)
●男の子が100人いれば、そのうち2人か3人は、どうやっても社会にうまく適応することができない。それは、システムとか、心構えとか、教育の問題ではない。言わば、社会的な歩留まりの問題で、どうしようもない話だ。立川談志は、ある時期から「落語は人間の業の全面肯定だ」という言葉を繰り返し言っていたのは、そういう部分を含みおいた上での発言なのだと思う。つまり、どうにもならない時にでも、どうにもならないヤツでも、落語だけは有効だという、救済に近い思想だ。ということは、これは宗教かもしれない。(P33)
●肥満というのは、症状である以前に、個人の権利であり生き方だ。/そう。人は自分の好きなように生きて、それにふさわしい死に方をする権利を生まれながらに与えられている。/そう考えれば、喫煙も権利だし、嫌煙も権利だ。(P94)
●大阪とイタリアはじっくり観察してみると、なんだかとてもよく似ている。なにより、EUにおけるイタリアの立場と、日本における大阪の境遇が、他人ごととは思えない。次男坊の役割というのか、傍流の、二次的な、主導的でない立ち位置と、曖昧な権力基盤が、そっくりだ。・・・思うに、ヨーロッパにおけるラテンとゲルマンの関係は、ほぼそのまま、わが国における近畿圏と関東の関係に置き換えることができる。(P132)
●思うに、政治不信の問題は、不信を抱いている人々の問題として取り扱うよりは、選挙制度や政治のキャンペーンのあり方に内在する問題として見直す方が建設的だ。(P164)