とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

脱グローバル論

 前大阪市長平松邦夫氏が主宰する「公共政策ラボ」が開催した連続シンポジウム「ポストグローバル社会と日本の未来」の全4回の内容を掲載したもの。パネラーは各回によって異なるが、内田樹平松邦夫は毎回参加し、他に、中島岳志小田嶋隆平川克美が3回、イケダハヤトと高木新平が1回参加している。中でも中島岳志が面白い。イケダハヤトと高木新平という20代の実践者と50代・60代の中高年とのつなぎ役として、将来を見据えた社会像を明確に示している。
 グローバル資本主義はフロンティアの消滅とともに行き詰らざるを得ない。では次の社会システムは? というのは、「資本主義という謎」、「レイヤー化する世界」とこのところ集中して読んでいる本のテーマと同じだ。このシンポジウムで面白いのは、20代のイケダハヤトと高木新平が自らの活動と社会観を率直に語っている点。50・60代のおじさん連中にはかなり刺激的で、だけど共生社会というイメージの前でお互いに共感していく。いや、20代の若者たちがおじさんたちを許容してあげているのかもしれないが、いずれにせよ、まだ20〜30年は一緒に生きていかざるを得ないのだから、排他的に服従させたり、言い負かせたりすれば済む話ではない。
 第3回・第4回では昨年の衆議院選挙の前後で、橋下氏の手法に対する批判が繰り広げられるが、最後はトクヴィルやパットナムの中間領域論、ボンディングやブッリジングの話になっていく。まずは身近な人とつながりあって生きていく。それが人間らしい生き方なんだろう。「包摂」という言葉が使われる。そういう社会にしていきたいと心から思う。そこからどういう社会システムが構築されるのか。それを楽しみにして生きていきたい。

脱グローバル論 日本の未来のつくりかた

脱グローバル論 日本の未来のつくりかた

●先ほど、内田さんが「グローバル経済対国民国家」という大きな枠組みを出されたわけですけども、この2つの対決は、国民国家が絶対に勝つと僕は思ってるんです。なぜかと言うと、グローバル経済は・・・フロンティアがないと不可能なわけです。常に外部を求めていく。外部がなくなればマーケット拡大はありえませんし、資本主義は発展していかない。・・・このグローバル化した世界の中で資本主義のフロンティアがなくなった時にグローバル資本主義というものがどこまで持つのか。しかも、その行き詰まりのスピードは相当速いと思うんですね。(P54)
●別に経済成長しなくたって、日本には「見えざる資産」がいっぱいある。・・・「安全」もそうだし、森林資源や里山もそうだし、おだやかな気候もそうだし。そういう見えざる資産を僕たちはゆっくり享受しながら生きていける。この豊かな資源があるんですから、自分を労働力として労働市場にひどい雇用条件で売って、骨身を削るような思いをしてわずかの貨幣を獲得して、それで中間マージンをどかんと乗せられた商品を買うより、もっと合理的で、手触りの優しい社会システムを構築することを考えた方がいい。今、若い人たちがグローバル資本主義の収奪システムから立ち去ろうとしているのは、生物として当然の選択だと思います。(P143)
●日本のシステムが不調なのは、諸悪の根源がいるんじゃなくて、ただシステムを管理運営している人たちがみんな子供ばかりで、大人がいなくなっちゃったからなんだから。巨大な父が一元的に操作しているせいでシステムが不調なんじゃなくて、頭の悪い子供たちがてんでかってに管理運営しているからガタガタになっている。・・・どこかの「諸悪の根源」がいて、これを取り除きさえすればすべて元通りになるという安い話型はもういい加減にやめたほうがいい。(P184)
●中間領域を守り、自由を守らなければいけないとトクヴィルは言いました。パットナムも同じです。それを現代的な処方箋として出したのが、ボンディングとブリッジングという概念だったわけです。つまり・・・(秋葉原事件の)加藤のような者を救うためには、橋下現象みたいなものではなく、地に足のついた新しい中間領域を作っていかなければならない。もう少し落ち着いた政治や社会を作っていくには、閉鎖的な、1つの価値観だけに結集する共同体だけではだめなんです。「○○もある」社会というものが、とても大事なんですね。(P251)
●怒りに対して怒りで応じるのではなく、公人として立つ以上は反対者をも代表する、政治的な対立者の利害をも代表するような形で統治を行う度量を示してほしい、と。対立じゃなくて包摂。それが公人の義務だと思うんです。(P260)