「人工凍眠」という現実離れした技術が実用化された時代。だがそれが2010年から2015年にかけての出来事と言われるとやはり違和感がある。あとがきによれば、他の作品の時代設定の矛盾を解消するために無理やり作られた話のようだけど、「ジェネラルルージュの伝説」や「ナイチンゲールの沈黙」に登場する人物たちがこの作品でも登場し、懐かしい気分になる。
だが、曽根崎教授が唱えた人工凍眠の法的原則に関する「凍眠八則」が完璧な説得力で法制化を推し進めたと何度も書かれても、その提言の完璧性がイマイチよくわからないし、曽根崎教授と涼子とのメールのやり取りと「凍眠八則」の瑕疵に気付く場面など、筆致はドラマティックだがその驚きがイマイチ伝わってこない。やはり「人工凍眠」という設定が現実と遊離して、それが起こす問題や課題が親身に感じられないせいだろうか。
しかも曽根崎教授ことステルス・シンイチロウとのメールの応答は後半に入るとばったり途絶えてしまう。代わって登場したのが、人工凍眠システムを構築した西野だが、彼の人間的な輪郭もあまり見えてこない。もちろん涼子が人工凍眠に入るにあたっては不可欠な人物であり、彼があってこそ続編の「アクアマリンの神殿」は誕生したのだろうから、役割は大きいのだが。
辻褄合わせ。「つなぎ」の作品という印象。でもきっとこの作品で登場した涼子やアツシ、西野、曽根崎らがまたさらに面白い活躍を見せてくれるに違いない。桜宮サーガがまた一回り広がった。続編に期待しよう。
●外で動き回る人だって、本当に世界を見ているわけじゃない。紙上の虚数空間も、それを認知した時点で、実世界になるのだ。(P23)
●個人を支えるために構築された社会が、個人よりも優位に立ち、個人を圧殺していいはずがない。社会を構築する個人が破壊されれば社会の土台が崩れてしまうなど、自明なことだ。その時社会は担ぎ手を失った御輿のように地に墜ちる。人々が集わなくなれば、それはもはや祭りとは呼べず、祭りが存在しなければ、御輿の存在意義も消滅する。(P44)
●論理界ではトラップはひとつの戦略にすぎず、そこに悪意は共存しない。トラップをかけることは強者であり、強者と悪意は同居しない。悪意は無能と同居するのです。(P76)
●破滅してしまえば完結する。そいつの破滅はそいつ自身には何も残さない。人は石ころのようなものだ。覚悟すればあとは湖底に沈むだけ。だがひとつの破滅は周囲に波紋を残す。お前の破滅は、死んでいく石ころのお前自身には関係ないが、周囲の人間には問題だ。(P102)
●限定された局所で、あまりに精緻なものを作り上げてしまうと、新しい生命が窒息させられてしまうんだけどな」(P285)