とんま天狗は雲の上

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コミュニティを再考する

 経済学者・伊豫谷登士翁の呼びかけに、政治学者の齋藤純一と社会学者の吉原直樹が呼応し、3人がそれぞれの立場で3.11後のコミュニティの現状を分析した後、三者による対談が掲載されている。今後のコミュニティ研究のあり方を問う入門書といった位置付けか。
 市場と政治への不信や個人生活への不安等からコミュニティ再生への期待が高まっていると分析する齋藤氏。グローバリゼーションが進展する中でコミュニティはいかに対抗し得るかと問う伊豫谷氏。二人の論文は何とか理解できたが、社会学の視点からコミュニティを論じる吉原氏の論文(第3章「ポスト3.11の地層から」)は正直言って難解すぎてついていけなかった。ただ、災害ユートピアショック・ドクトリンの間にあって、リベラル・ナショナリズムとグローバリゼーションが、新自由主義と集権国家が、コミュニティを回収していく状況が出始めている。安易なコミュニティ賛歌はさらなる連帯性や共同性の簒奪を招きかねない。今こそコミュニティとは何かを真剣に問い、創発的なコミュニティへとつなげていかなければならない。といったことを主張していることはわかる。
 はたして「創発的なコミュニティ」とは? 「創発性として言及される状態は、複数の主体が相互作用を介して行為することで、個々の行為を越えて新たな集合的特性や、質的に新しい関係が生み出されることを指している。」(P116) わかりますか? わかるようで、具体的には何をどう評価したらいいのか、わからない。
 今何気なく「評価」と書いたが、コミュニティを持ち上げ「評価」することで、政府はコストを縮減しつつ監督権限を強化していく現状が見えると齋藤氏は指摘する。そしてナショナリズムやグローバリゼーションにつながっていくコミュニティ。
 確かにそう警告されれば思い当たることは数多くある。NHKを筆頭にメディアが流す「絆」や「復興」も、そうした傾向の現れの一つとして見えてくる。コミュニティ万歳ではない。コミュニティすら手垢にまみれた後に、我々には何が残されるのか。そう考えた方がいいのかもしれない。しかし同時にコミュニティは人間にとって唯一の残された救いでもある。真の「コミュニティ」を我々は手ずから作り上げていく必要がある。だからこそコミュニティについてしっかり認識しておく必要があるのだと理解した。

●コミュニティ再生への関心は、国家および市場への不信と「個人化」による負荷の経験が重なるところに生じており、競争や成長に定位するのではない他者との関係や生活/活動様式を探ろうとする人々の志向を反映している。それは、見方を変えれば、コミュニティという言葉には、現状と将来に不満や不安をいだく人々の過剰ともいえる期待が託されているということでもある。(P21)
●政府による直接的な介入の後退は、必ずしも公権力の縮減をもたらし、各コミュニティの政治的な自律性を高めるわけではない。むしろ、それは、行政コストの削減をはかりながら、評価システムを通じて監督権限を保持し、さらにはそれを強化しようとする政府の利益にもかなっている。政府は、コミュニティの側が対抗的に制御することができないような制御能力を依然として保持しているように見える。(P27)
●グローバル資本の圧倒的な権力のもとで、ローカルなものは、グローバリゼーションのさまざまな流れを遮断することはできるであろうか。・・・答えは、市場経済を極端に制限するなど、耐え難い犠牲を払わない限り、否である。歴史を巻き戻すことは不可能であり、グローバリゼーションを押しとどめることはできない。できることは、グローバリズムへの対抗としての場への介入を通して、グローバル資本を制御する手段をひとつずつ生み出し、これまでの地域性にこだわらない共同性を積み上げることである。(P65)
●いまコミュニティといわれるものの復権が世界的な規模で声高に叫ばれ、それが新しいナショナリズムと共鳴している。・・・3.11を経験したいま、新しい共同性のあり方を探し求めなければならないであろう。しかしそれは近隣諸国との紛争を煽ったり、外国人や移民を選別あるいは排除することによって、ナショナルな共同性を扇動することではない。何を出発点として、新たな共同性を創り上げるのか、そのことが試される時代である。(P88)
グローバル化の進展とともに新自由主義と国家の連携、より正確にいうと「新自由主義による国家の簒奪」が全社会的に展開されるようになり、国民的統合を要諦とするナショナリズムの実質的空洞化がどんどん進む、またそれとともにコミュニティの存立基盤が大きくゆらぐようになっています。・・・だからこそ、国家が実態的なコミュニティを規範的なコミュニティにスライドさせるといった状況が表れているのだ、と私はみています。(P147)