とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

極北ラプソディ

 「極北クレイマー」の続編という位置付けで、世良が病院立て直し請負人として新しい病院長に就任した極北市民病院のその後を描く。
 という内容だと思って読み進めたら、メインテーマは極北市民病院が放棄した救急活動を全面的に担う雪見市の極北救命救急センターのドクターヘリだった。吹雪の中の決死のドクターヘリ・フライト。その後に語られる医師とパイロットらとの激論は心に刺さる。
 そして、その活動を支えるのが速水副センター長。ジェネラル・ルージュだ。ようやく手に入れたドクターヘリとともに、相変わらず燃え立つような屹立した言動を繰り返す速水と対照的に、救急患者の受け入れを拒否し、訪問看護を中心とした病院の再生をめざす世良。その間を揺れ動く今中医師が本作品の主人公だ。
 この作品では天城医師と別れた後の世良の姿も語られる。彼は北方列島を望む神威島で伝説の医師・久世と出会い、医師生活を再スタートさせた。そして再び戻った神威島でついに花房看護師と結ばれる。花房とともに「極北に根を張る」決意を固める。先に読んだ「スリジエセンター1991」で私は、「世良こそ海堂ワールドの中心人物だった」と書いたが、あれ、わずか1ヶ月余りでその感想が裏切られるとは・・・。
 相変わらず多くの海堂作品と色々なところでつながっていく。ミッシングリンクが次々に埋まるとともに、新たなピースが現われてくる。もちろん世良と今中の極北市民病院でもこれから地域に根を張った医療再生への模索が始まるだろうし、「ナニワ・モンスター」で示された日本三分割構想がこの北の大地を舞台に何やら蠢き出す気配もする。
 海堂ワールドがさらに拡大していく。本作品はその一部を埋める魅力あるピースの一つに過ぎない。

極北ラプソディ

極北ラプソディ

●かつてSF領域だった技術がどんどん現実化している。・・・だがあの頃感じた、希望に満ちた未来社会がすっかり色褪せているように思えるのは、なぜなのだろう。技術の進歩はすさまじいが、人間はそれに見合う進歩をしていない。(P137)
●強引でわがままなクライアントの要望に泣く泣く従った有能なパイロットを解雇するなんて、あまりに馬鹿げてる。そうした杓子定規な判断こそ、会社に対する最大の背信行為だ。会社には利益を求める以前に、社会のためという大義名分が求められる。大義に背を向けた会社に未来はない。(P298)
●「ルールとは、安全のための最大公約数です。踏み越えればリスクが高まる。そうならないように、セイフティゾーンが設定されているんです」「それは臆病者の言い訳だ。エキスパートにとって、そんな安全地帯は邪魔な過剰制限だ・・・ルールという安全地帯を設定することの方が責任逃れだ」(P303)
●「速水先生のところには、いのちを失うかどうかの瀬戸際の患者が運ばれてくる。場合によったらいのちが失われても仕方がない状態だから、ダイブできる。でも我々は違う。お客さまを無事運んで当たり前。だからルールを守り、安全を確保しなくてはならない。(P306)
●私は患者を救うために飛ぶのではありません。他人のため、自分の危険を顧みない可憐なナースと勇気あるドクターを危ない目に遭わせないよう、それだけを考えて飛ぶんです。申しわけありませんが、患者さんはオマケなんですよ・・・怪我をした人は多くの場合、自業自得です。そんな得体のしれない人のいのちを助けるため、多くの人を助けることができる医師と看護師を危険な状況に投げ込むわけにはいきません」(P307)
●「原則とは単純だからこそ原則なんだし、決断とは瞬時に行うから決断なのさ」(P372)