とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ボールピープル

 キャンペーン協賛(笑)「秋の夜長は読書とブログ
 トビラを開けると、砂漠でサッカーボールを抱えロバに乗った初老男性をバックに、紙面一杯に大きく「この星は、人とボールでできている。」と白抜きで書かれている。世界中をサッカーシーンを求めて放浪した筆者が撮り貯めた写真が254ページ全編にわたって惜しげもなく掲載されている。そして小粋で飾らないエッセイが49編。
 ブラジル、ヨーロッパ、アフリカ、アラブ、中央アジア、行ってない国がないのではと思われるほど多くの国々、多くの人々。笑顔、屈託ない人、腹黒い意図が透けて見える人、行っちゃった人、子ども、大人、可愛い女性、ビキニ、ロバ、街角、砂、サポーター・・・。

●きみの心にロバはいるか?(P74)

 いや、普通はいないだろ。でもそんな国がある。

●きみはサッカーが好きなのか、それともサッカーが好きな自分が好きなのか?(P215)

 いやどうだろう? たぶん両方だ。
 そんな気の利いた言葉だけが添えられたページもあれば、6ページにわたり綴られたエッセイもある。もちろん全てサッカーとともにあった日々の一コマと追憶。そしてサッカーへの愛。
 何も言わない。本書を一冊、手元に置いて、気が向いたらページをパラパラと開くといい。そこには癒される、慰められる風景が写っている。ボールピープル。人はみなサッカーとともに生きている。んなわけないが、そういう人も大勢いる。それだけでも十分勇気付けられるではないか。

ボールピープル

ボールピープル

●多くの若者がそうであるように、ただ反抗し、むやみに噛みつき、自分が無力であることを自覚させるものは、片っ端から拒絶していった。あのとき、20代前半の若者のみに与えられる感性を解き放ち、この街に存在する全てを素直に捉えることができていたら……。そんなことにようやく気付くけれど、時計の針は残念ながらいつだって右にしか回らない。(P36)
●人はそれぞれ備わっている才能と備わっていない才能がある。できる人は最初からできるか、いつかできるようになり、できない人は最初からせきず、そしていつまでもできない。できないことはけっして恥ではないが、ときどき人にものすごい迷惑をかける。(P114)
●サッカーという世界が素晴らしいのは、公園や、校庭や、ちっぽけなスタジアムが、その向こうにある広大な世界へと繋がっていることにある。たとえ自分が世界の片隅にいても、目の前にある空き地は、カンプ・ノウに続いている。そうは見えなくても、でもそうなのだ。どこかで確実に繋がっている。/だからこそ僕たちは彼らの美しいサッカーに共鳴できるし、だからこそ自分たちのサッカーについても語り続けることができるのではないだろうか。(P125)
コーナーキックで高く上がった白いボールは白い雲に一瞬同化して姿を消し、そしてまた姿を現し、グラウンドに立つ22人の少年たちの臑と腿と額と手のひらは汗と黒い土にまみれていた。それは震災の気配などどこにもない、初夏の日本でよく見かけるような、ごく普通の光景だった。/サッカーにチカラ。それがいったいどういうものなのか、僕にはよくわからない。しかしその力がどんなものであれ、とりあえずこの世界にサッカーというものがあってよかったなあと、僕はそのとき本当にそう思った。(P194)