とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

空気を読むことは重要。空気に迎合することが問題。

 一時、「KY」という言葉が流行り、「今時の若者は空気を読まない」と話題になった。すると「空気に支配される日本人」を批判する人たちが現われ、いったい「空気は読むべきか、読まないほうがいいのか、どちらなんだ」と迷ってしまった。答えは「空気を読むことは重要。空気に迎合することが問題」。
 やはり空気は大事で、周囲の人々の感情や意向、自分が置かれた状況、社会の動向、時代の趨勢などは数字や知識だけでなく、肌身・感覚を総動員して最大限把握しておくことが的確な判断や行動につながる。
 だが一方、読んだ空気に流される、自分で判断せず空気に従うのを身上とするのも間違いを生む。いや、多くの場合は空気に身を任せていても大過ないが、時には空気に含まれる微かな異臭を嗅ぎ取って、独自の判断をすることが必要となる。その判断ができたか否かがその後の結果を左右することも多い。
 もっともそんなことは当たり前で、誰でも無意識のうちにやっていること。空気に合わせて動く状況で力を発揮できる人もいれば、空気に逆らって動く場面でリーダーとなりうる人もいる。もちろん得意不得意や専門分野の違いもあるし、結局、最後は結果がよければその判断は的確で、結果がまずければ間違っていたということになるだけかもしれない。
 だいぶ前の記事だが、「Chikirinの日記:始点に立っていても、ゴールまでの道筋は見えません」が多くの賛同を集めていた。「成功者がこの種の言葉で独立を煽るのは罪作り。スタートしてもゴールにたどり着くのはほんのわずか。」とブックマークした。
 空気を読むには重要。空気に迎合することが問題。だからと言って、空気に逆らえばいいというものでもない。自己判断は時に破滅を招くこともある。やはり、「空気を読み、判断・行動し、結果を引き受ける」という覚悟と気持ちが必要なのだと思う。ま、人生、そんなもんだし、どんな結果でも自分のことなら最後にはあきらめ引き受けるしかないわけだが。