とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

老後にやってみたいこと

 先日読んだ「街場の憂国論」に「地方紙の存在意義について」という短いエッセイが掲載されている。アメリカの地方新聞がどんどん消滅していることを取り上げたエッセイで、地方紙は地方自治において不可欠な媒体であり、住民からの寄付を財源にNPOとしての報道専門組織を立ち上げることが必要だというインタビュイーのコメントを強く支持している。

●「教師や議員、警察官や消防士がどの街にも必要なように、記者も欠かせない」。(P274)

 その後話題は、記者は(警察官は、消防士は)地域の維持のために誰もが均等に負担すべき仕事であり、誰でもできる仕事である。特別な資質を持った人しかできない仕事では地域が成り立たないので、誰でもできるように組織ができている、という話に移っていく。
 現在の警察官や消防士がそういうものとしてあるかどうかには当然疑問があるところだが、そうでなければならないという話だ。そして地方紙もそうだと言う。いや、これから人口減等により事業規模が縮んでいけば、ますます「その気になれば、誰でも始められるレベルの仕事」になる。なるほど。

新潟県村上市には「村上新聞」という地方紙がある。そこを訪ねてみた話が村上春樹のエッセイにあった。三人くらいで回している地方紙である。たいへん好意的に紹介されている。/私はこういうタイプの新聞が日本列島すみずみにまで数百数千と併存している状態が、過渡的にはいちばん「まっとう」な姿ではないのかと思う。(P276)

 いいなあ。私も老後、こうした仕事をしてみたい。議会を傍聴し、興味のままに地域の様々な出来事を取材して記事を書く。広告集めに奔走することなく、自費で新聞を作る。ネットに掲載する。勝手気ままに印刷し配布する。
 あれ、今のブログと何が違うんだろう。結局、今やっていることがやりたいことで、老後、自由な時間がもっと多くなればこんなことばかりやっていたいということなんだろうか。でもなんか変なおじさんのような気がする。