とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

夢想するサッカー狂の書斎

 筆者が朝日新聞フットボールサミットなどに連載したサッカー本関連の書評を集めた本。一編一編が完結する短い書評をどう並べれば読める書物になるのか悩んだようだが、基本、出版年月順。掲載誌ごとにまとめて、一部エッセイ等を付け加えることで全体として十分読める書物に仕上がっている。
 とは言っても、筆者の文章はけっこう難解。書きたいことがたくさんあって書き切れない印象。飛翔する言葉の端々に強い気持ちが伝わってくる。
 あらゆる種類のサッカー本が紹介されている。いや、「サッカーデイズ」がないのは文学作品は外したかな。それでも技術系・指導系の本を除いてほとんどの種類の本が網羅されている。その中では、マネジメント系やノンフィクション系の評価が高いのはそれらの本の著者の努力に感応するからか。逆に、出自がはっきりしないゴーストライター系や量産本への批判は強い。ま、当たり前だが。
 私が昨年読んだ中では、「日本サッカーに捧げた両足」と「ボールピープル」が高く評価されているのは嬉しい。「ボールピープル」は私も昨年のベスト10に入れようか迷ったけど、「日本サッカーに捧げた両足」の記録性と「サッカーデイズ」の文学性を優先した。改めて書評を読んで、「ボールピープル」の魅力を再認識。確かに筆者がベスト1の一つに挙げるだけのことはある。いずれにせよ、こうしてサッカー本の書評だけで一冊の本になることが嬉しい。
 本書で紹介されていてまだ読んでいない本も数多い。本書に触発されて読んでみたいと思った本もいくつかある。さて、今年はどんな本が読めるだろう。筆者ともども、質の高いサッカー本の登場を期待したい。

夢想するサッカー狂の書斎 ぼくの採点表から

夢想するサッカー狂の書斎 ぼくの採点表から

●とくに面白く読めるのは、最終17章の「骨肉の宿敵、アルゼンチン」だろう。とかく持ち出されるフォークランド紛争に重ねて著者は「まじめな兄と奔放で狡猾な弟との仁義なき相続争い」にたとえる。つまりは、惹かれ合うがゆえの子供じみた相反する感情…。/FA(イングランドフットボール協会)から贈られた純銀製カップを敗戦の年に軍部に献納。行方知れずにしてしまった日本協会の不名誉を、本書でいくらかそそげたかな、とふと考えた。(P42)
●「読後の感想をどう書くか」ということよりも、「どの本を選ぶか」のほうがはるかに重い営みなんだと考え直す必要があるんじゃないですかね。選んだ段階で半分以上が終わっている仕事なんです。(P85)
●今更言うのも変なのだが、書評の営みはくたびれる。それでも、ここがこの本ならではの脈動のありかか! と小さな声を挙げてみたくなる瞬間がある。まさにそれが「読みどころ」との出会いで、読書の疲労を救ってくれる癒しの時間でもある。やめられない理由はたぶんそうした決定的局面との出会いにあるのだろう。フットボールの時間の流れにどこか似ていないくもない。(P139)
●(書きたいことと書くべきこととが一致している作品は力強い)(P157)
●ブックディレクター幅允孝の名言は<本というのは「遅効性」の道具なんです>というのがある。記憶の淵に沈んでいても、何かのきっかけで突然姿を現す本がたしかにある。書物本来の力を再認識するのはそんなときだ。(P188)
●深い闇の中に生きる著者・木之本にとっての絶対の光は、本当に「地域」や「元気」なのだろうか。それはすべてのサッカー人の根底にあるべきはずの年齢を超えた真の「友情」にあるのではないか。そうでなければ、古河の元チームメイトである年下の奥寺康彦永井良和を立てていちいち「さん」付けで記述するはずもない。(P283)