とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

プライドと受容のはざま

 先日、あるトラブルに巻き込まれた女性建築士から相談を受けた。彼女の設計した住宅が法律違反の可能性があると役所に指摘され、どうしようかという内容だ。彼女としては適法だという自信がある。詳細な話を聞かせてもらうと、確かに微妙な判断だ。「自信があるなら戦えばいいじゃないか」と勝手なことを言ったら、「役所側が強硬に出てくると、施主に迷惑がかかる」と言う。
 役所が指摘している事項をクリアするためには追加工事が必要だが、まだ残工事があるため、役所が指示する工事は実施可能だと言う。「それなら工事をやればいい」と言ったら、「だって絶対、役所の指摘が間違っている」と言い張る。「でも工事をやらなければ、施主に迷惑がかかるんでしょ」と言うと、「それはそうだけど・・・」と言葉を濁す。
 いろいろと聞いていると、結局、役所の担当者の態度が気に入らなかったということが一番の原因らしい。長年、建築設計に携わってきた。業界団体の役員も歴任した。今回、念のため事前に役所へ確認もした。それにも関わらず、突然の呼び出し。そして、まるで犯人扱いで「お前の間違いを認めろ」と言われた、いや言わんばかりだったと憤る。もちろんその場に立ち会ったわけではないので、実際、役所の担当者がどんな対応だったのかわからないが、ひどくプライドを傷付けられたということのようだ。
 結局、彼女の不満をじっくりと聞いて、彼女の憤りももっともだと一緒に役所を非難し、「でも、無駄な喧嘩をして施主に迷惑をかけるよりも、負けるが勝ちと思って我慢したほうがいい」と諭し、収まるまで実に2時間。ああ疲れた。
 彼女も最後は役所の指摘を受け入れるしかないとわかってはいても、「私は正しい。なぜ間違った指示に従わねばならない」という気持ちを収めるのに時間がかかっていたということのようだ。プライドと受容の狭間はなかなか簡単には飛び越えられない深い溝がある。その架け橋になるのも楽じゃない。
 その後、共通の知人に聞いてみると、彼女から同様の愚痴を聞かされた者が多数いることがわかったが、多くは「あなたが正しい」と追従するだけだったらしい。
 私はその夜、彼女との長い時間を思い返して寝付かれなかった。翌朝も早く目が覚めた。そして翌日、多くの人にこの話を聞いてもらった。私の気持ちが収まるまでほぼ1日かかった。もっとも彼女が悩んでいた日数は私の比ではないのだが。それにしても、疲れた。