とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

恋しくて

 10編の恋愛小説を集めて村上春樹が初翻訳したアンソロジー。アメリカの作家が多いが、スイス、ロシア、カナダの作家もいる。そうそう日本の作家も忘れてはならない。村上春樹だけど。
 小学生の少し苦い追跡行、若者たちの三角関係、中年になって実る初恋、スペイン風邪の流行る1920年代を舞台にした情熱的な恋物語、逃げた愛人を追いかけてはまた蘇る愛、飛行船ツェッペリン号の事故の裏で進行する同性愛、不倫カップルの別れ、そしてカフカの「変身」の主人公ザムザの恋。若くて甘い恋物語に過ぎ去りし日を思い出し、中年の不細工な恋に痛みを感じる。人生にとって恋愛はすべてではないが、不可欠で、イヤでもまとわりつく。誰にでもある経験だが、同時に誰もが違う恋愛に生きる。
 10編の中では、リチャード・フォードの「モントリオールの恋人」が最も筆力を感じる。だが甘く切なく心を打つのはマイリー・メロイの「愛し合う二人に代わって」かな。それぞれにバラエティがあって面白い。あなたはどのストーリーが最も心を打つだろうか。もしくは痛みを感じるだろうか。恋愛小説は心の心地良い刺激でありマッサージかもしれない。

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

●巨大な14歳の少年アンジェロ。・・・同じクラスの不思議な女子、テレサにどうしようもなく惹かれてしまう。放課後、彼女のあとをつけずにはいられない。・・・アンジェロがテレサに惹かれる気持ちは僕にもなんとなくわかる。思春期の男子というのは多かれ少なかれみんなアンジェロみたいなものだし、思春期の女子というのは多かれ少なかれみんな飛び出しナイフを隠し持っているのだ。(P64)
●17歳、18歳という時代は、胸に吸い込む空気が日々新鮮に感じられるものだが、あまりに新鮮すぎて、ときどきたまらなく息苦しくなることがある(あった)。(P97)
●ララと一緒になる前は、彼もまた両親と同居していた。そんなわけで、洗濯物は勝手にきれいになってくれないし、冷蔵庫の中身は自動的に補充されないのだという事実に、まだよく慣れていなかった。しかしそんな彼も、週末に二人で買物に出かけ、今日は、明日は、あさってはどんな料理を作ろうかと語り合うことに喜びを見いだした。・・・そしていっぱいになったショッピング・カートは、二人の前に広がる満たされた生活を象徴するものだった。ララと二人並んで、それを地下の駐車場まで押していくとき、シモンは自分が大人になり、独り立ちしたことに対して、深い誇りと、不思議な満足を感じるのだった。(P105)
●選択こそが世界を興味深い場所にし、人生を操作可能な場所に変えるのだ。もし選択の余地が消されてしまったら、人は変化というものを作り出せないではないか。・・・ただし選択に直面する機会を最小限にしておくこと、それが単純なコツなのだ。(P313)
●「世界そのものがこうして壊れかかっているっていうのに、壊れた錠前なんぞを気にする人がいて、それをまた律儀に修理しに来る人間がいる。考えてみればけったいなもんだよ。そう思うだろ? でもさ、それでいいのかもしれない。意外にそれが正解なのかもしれないね。たとえ世界が今まさに壊れかけていても、そういうものごとの細かいあり方をそのままこつこつと律儀に維持していくことで、人間はなんとか正気を保っているのかもしれない」(P360)