とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ストレス性五十肩

 先週、ある呑み会があって、その朝から左肩が痛くなった。ある権力者の招きによる呑み会で、断るに断れず、いやいやながら参加した。とは言っても、招かれた側で私がトップではなく、上司に従って頭を低くしていればいいということは頭では理解していたし、実際そう振舞った。そして、当たり前と言えば当たり前だが、先方も当方を大事にしてくれて、嫌な思いをすることなく無事呑み会が終了した。
 そして帰りのタクシーの中で、肩の痛みがないことに気が付いた。やっぱりあの五十肩はストレス性だったんだ。
 以前に五十肩になったときは、もう6年ほども前だが、今まで所属したことにない新しい部署への異動を命じられ、そのことを聞いた途端に発症した。自分でも過剰意識によるものではないかと思い、それほど不安にならなくても何とかなると言い聞かせたが、治るまで1ヶ月以上を要した。
 今になればその所属にいた3年間は非常に楽しく、今では私の経歴の中でも大きな位置を占めているが、異動当初にはその職に大きな宿題が残されていて、私で解決できる自信もなく、当時はとにかく不安で仕方がなかった。
 10数年前には上司が宇宙人で、話すことが理解できず、異動して1ヶ月もたたないうちにぎっくり腰を発症した。今になって思えばあれは尿路結石ではなかったかと思うが、あの時も治るのに数ヶ月を要した。尿路結石といえば、2年前に大きなストレスに直面した折に、やはり発症して救急車を呼ぶ羽目となった。
 やはりストレスは恐るべし。
 最近、読んだ「sombrero-records.note:ストレスは”貯まる”のか。」という記事に、「ストレスを『貯まる=発散する』という言葉使いで扱うことでかえってそれに縛られるんじゃないか」といった趣旨の意見が書かれていた。ちなみに先日の呑み会では、二次会のスナックで無理やり下手なカラオケを歌わされたが、それでストレスが発散されたということは全くなく、呑み会が終わったことでストレスから開放された。ま、その権力者が普通の人だとわかったというのが大きいのだが。
 「ストレスが貯まる」というのは、「ストレスが継続する」という意味だが、それから解放されるのはストレスの原因がなくなるからで、けっして他の楽しみで発散されるわけではないということか。もっとも10数年前には上司のストレスから逃れるために、休日のたびに旅行に出かけていた。あれは「発散」していたのではなく、緊張の「断絶」を図ったのだと思う。
 いや小難しいことは別にして、今はまた再来週に予定されている社長との呑み会を前に、五十肩を再度発症しないよう、心の緊張(=肩の緊張)を解く努力をしている。自分の心ほど自由にならないものはないのだけれど。